正常性バイアスは、おかしなことが起きていても、「これは、ふつうの範囲だ」「自分は、大丈夫だ」と受けとめてしまう、心の働きです。「正常化の偏見」とも呼ばれます。災害のときに、逃げおくれる原因として、知られています。
この働きは、災害のときだけのものでは、ありません。会社の数字が、少しずつ悪くなっている。体の調子が、ずっと、おかしい。口座の含み損が、ふくらんでいく。どれも、「まだ、大丈夫」で、受け流せてしまいます。
私は、眠れなくなった部屋に、「慣れるかもしれない」と言いながら、10か月、住みつづけました。「自分のサイトが、ねらわれるはずがない」と思っていて、侵入され、それまでに書いた記事を、ぜんぶ失いました。この記事では、しくみと有名な例を先に書いて、そのあとで、私の例と、守り方を書きます。
1. 正常性バイアスとは
人の頭は、入ってくる刺激のすべてに、いちいち反応していたら、もちません。物音がするたびに、逃げ出していたら、暮らせません。だから、多少のおかしさは、「いつものこと」として、受け流すように、できています。正常性バイアスは、ふだんは、心を守っている働きです。
問題は、本当に動かなければいけないときにも、同じ働きが、出てしまうことです。
1-1. 煙が入ってきても、人は、すわっている
2003年に、韓国の大邱(テグ)で、地下鉄の火災がありました。192人が、亡くなりました。車内に煙が入ってきているのに、乗客が、座席にすわったまま、じっとしている写真が、残っています。
心理学者のラタネとダーリーは、1968年に、実験をしています。参加者が、部屋で、書類に記入している。通気口から、煙が入ってくる。
| 条件 | 煙のことを、知らせに行った人 |
|---|---|
| 部屋に、1人でいた | 75% |
| 何もしない人(さくら)が2人、いっしょにいた | 10% |
まわりの人が動かないと、「たいしたことでは、ないのだろう」と、受けとめます。まわりの人も、同じことを、考えています。全員が、おたがいを見て、全員が、動きません。
1-2. 近い言葉との違い
| 言葉 | 中身 |
|---|---|
| 正常性バイアス | おかしなことを、「ふつうの範囲だ」と受けとめる |
| 同調性バイアス(多数派同調バイアス) | まわりの人と、同じ行動を取ろうとする。上の実験で、10%まで下がった理由。正常性バイアスと、たいてい、いっしょに働く |
| 楽観バイアス | 悪いことは、自分には、ほかの人より起きにくい、と考える |
| 現状維持バイアス | 変えたほうが得でも、いまの状態を、選びつづける。こちらは、おかしさに気づいたうえで、動かない |
| ゆでガエル | 少しずつの変化には、気づけない、というたとえ。正常性バイアスが、ゆっくりした悪化に働いた形 |
| オオカミ少年効果 | はずれた警報が続くと、本物の警報にも、反応しなくなる |
現状維持バイアスとの違いは、「気づいているかどうか」です。正常性バイアスは、おかしさそのものを、おかしいと感じさせません。気づいたうえで動けない話は、現状維持バイアスの記事に書きました。まわりに合わせてしまう話は、同調圧力の記事にあります。
2. よくある例
- 非常ベルが鳴る。「また、誤作動だろう」と、だれも、席を立たない
- 健康診断で、「要再検査」が出る。「去年も出たけれど、何ともなかった」
- 会社の売上が、3年続けて、少しずつ落ちている。「景気のせいだ。そのうち、もどる」
- 主力の取引先が、支払いを、おくらせはじめた。「あそこは、大きいから、大丈夫」
- 職場で、同じ部署の人が、続けてやめていく。「たまたまだ」
- パスワードを、使い回している。「自分なんか、ねらわれない」
組織の中でやっかいなのは、おかしさに、最初に気づいた人が、いちばん、損をすることです。全員が「ふつうだ」と思っている場で、「おかしい」と言うと、その人のほうが、おかしな人に見えます。だから、気づいた人も、だまります。1章の、煙の実験と、同じ形です。
3. 私の例①|眠れない部屋に、10か月、住みつづけた
東京の月島を出て、横浜の東戸塚に住みました。幹線道路ぞいの部屋で、車とバイクの音が、24時間、入ってきました。
「ここは、無理だ」と判断したのは、住んで2か月の時点です。出たのは、1年後でした。あいだの10か月、私は、自分に、こう言っていました。「もう少し住めば、慣れるかもしれない」。
慣れませんでした。眠れなくなりました。最後は、違約金を払って、出ました。
体は、2か月目から、はっきり、合図を出していました。それを、私は、「引っ越したばかりだから」「まだ、慣れていないだけ」と、ふつうの範囲に、おさめつづけました。眠れない夜が、1日、また1日と続くと、それが、「いつものこと」になります。おかしな状態に、おかしなまま、なじんでいきます。
ここで学んだことは、1つです。体が先に答えを出しているときは、頭の理屈のほうを、うたがう。実額は、賃貸探しで本当に高いのは家賃ではありませんに書きました。
4. 私の例②|「自分のサイトが、ねらわれるはずがない」
過去に、このサイトは、侵入されました。マルウェアを仕込まれて、迷惑メールを送る踏み台に、されました。
原因は、私です。正規の配布元ではないところから手に入れた、改造されたプラグインを、使っていました。その中に、はじめから、仕掛けが入っていました。有料のものが、無料で手に入る。そこに理由があることは、少し考えれば、分かります。当時の私は、考えませんでした。個人の小さなサイトが、わざわざねらわれるとは、思っていなかったからです。
実際には、ねらわれていたのは、私では、ありません。仕掛けの入ったプラグインを入れた人、全員でした。相手は、私のことなど、知りません。「自分は、ねらわれるほどの者ではない」は、守りになりません。
そのとき、データを消すように求められて、私は、それまでに書いた記事を、ぜんぶ、捨てました。感染する前のバックアップからもどす、という手を、落ち着いて考えることが、できませんでした。ふだん、「大丈夫」で受け流している人は、いざ起きたときに、何をすればいいかも、決めていません。だから、その場で、いちばん大きな損を、選んでしまいます。決めた4つの対策は、エックスサーバーとWordPressを選ぶ理由に書きました。
5. 私の例③|止まらなかったから、止まらないと思っていた
私は、以前、在庫を持たない売り方を、いくつもの販売サイトで、やっていました。規約に反するやり方です。いまは、やっていません。
はじめのころは、1つのアカウントで、200個から300個を出品しても、止められませんでした。止められないので、「このくらいなら、大丈夫なのだ」と、受けとめました。昨日も大丈夫だった。今日も大丈夫だった。だから、明日も大丈夫だろう。
そのあと、ヤフオクでも、メルカリでも、利用の制限と、停止を受けました。止められなかったのは、安全だったからでは、ありません。まだ、順番が来ていなかっただけです。経緯は、無在庫転売の記事に書きました。
FXで口座を飛ばしたときも、形は同じでした。ドルと円は、ある幅の中で動く。昨日まで、ずっとそうだった。その前提で、下がるたびに買い増す自動売買を、動かしていました。幅をぬけた日に、口座は、なくなりました。ギャンブラーの誤謬の記事に書いています。
「いままで大丈夫だった」は、「これからも大丈夫」の、証拠になりません。ところが、正常性バイアスは、無事だった日が続くほど、強くなります。いちばんあぶないのは、いちばん長く、無事だった人です。
6. 私の例④|全員で、「まだ大丈夫」と言っている建物
いま住んでいる街で、部屋を探していたとき、古い分譲マンションを、いくつも見ました。こわれた設備が、直されないまま、置かれている建物が、ありました。修繕のための積立金が、足りていないのだと思います。工事の値段は、この数年で、大きく上がっています。
住んでいる人たちが、気づいていないはずは、ありません。でも、積立金を上げる話は、全員にとって、うれしくない話です。「まだ、大丈夫」と言っておけば、今年は、何も決めなくて、すみます。総会で、だれも、手をあげません。煙の実験の部屋が、建物1つぶんの大きさに、なっています。数字は、修繕積立金の記事に書きました。
7. 守り方|その場で判断しない。先に、決めておく
正常性バイアスは、「おかしい」と感じる力そのものを、にぶらせます。だから、「おかしいと感じたら、動く」という決まりは、役に立ちません。感じないからです。感じ方にたよらない決まりを、先に、作っておきます。
7-1. 動く条件を、数字で、先に書く
| 場面 | 先に決めておく条件の例 |
|---|---|
| 住まい | 眠れない日が、週に3日をこえる状態が、1か月続いたら、引っ越しの見積もりを取る |
| 事業 | 粗利が、固定費を下回る月が、2か月続いたら、そのやり方を、やめる |
| 投資 | 買う前に、「ここまで下がったら、切る」を、書いておく |
| 体 | 「要再検査」は、出た月のうちに、予約を入れる |
条件に当たったら、そのときの気分が「まだ大丈夫」でも、動きます。気分は、あてにならないと、分かっているからです。やめる条件を先に決める話は、コンコルド効果の記事にも書きました。
7-2. 起きたときに、やることを、先に決めておく
私が記事をぜんぶ失ったのは、侵入されたからでは、ありません。侵入されたときに、何をするかを、決めていなかったからです。いまは、サーバーの自動バックアップとは別に、自分でも、バックアップを持っています。「起きない」にかけるのではなく、「起きても、もどせる」ようにしておきます。
7-3. 「いままで大丈夫だった」を、理由にしない
自分の口から、「いままで、何もなかったから」が出たら、それは、合図です。無事だった期間の長さは、安全の証拠では、ありません。まだ、順番が来ていないだけかもしれません。
7-4. 最初に動く人に、なる
煙の実験で、分かっていることが、もう1つあります。1人が動くと、まわりも、動きます。全員が、おたがいの顔を見て、止まっているとき、必要なのは、最初の1人です。非常ベルが鳴ったら、まわりを見ずに、立つ。会議で、数字がおかしいと思ったら、言う。はずれていたら、少し、はずかしい。それだけです。当たっていたら、取り返しのつかない損を、さけられます。はずれたときの損と、当たったときの得をくらべる考え方は、期待値の記事に書きました。
7-5. 外の人に、見てもらう
中にいる人は、少しずつの悪化に、なじんでしまいます。久しぶりに会った人に、「やせた?」「顔色が悪いよ」と言われたら、それは、自分の目より、あてになります。数字でも、同じです。毎月の数字を、1年前、3年前と、並べて見ます。先月とくらべている限り、ゆっくりした悪化は、見えません。
まとめ
- 正常性バイアスは、おかしなことを、「ふつうの範囲だ」「自分は大丈夫だ」と受けとめてしまう働き。ふだんは心を守っているが、動くべきときにも、出てしまう
- 煙の実験では、1人なら75%が知らせに行った。動かない人が2人いると、10%になった
- 私は、眠れない部屋に、「慣れるかもしれない」と、10か月住んだ。体が先に答えを出しているときは、頭の理屈を、うたがう
- 「自分は、ねらわれるほどの者ではない」は、守りにならない。相手は、自分のことなど、知らない
- 「いままで大丈夫だった」は、「これからも大丈夫」の証拠にならない。無事だった日が長いほど、この働きは、強くなる
- 守り方は、その場で判断しないこと。動く条件と、起きたときにやることを、数字で、先に決めておく

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