認知的不協和は、自分の中に、食い違う2つのことがあるときに感じる、居心地の悪さです。「たばこは体に悪い」と知っている。でも、吸っている。この食い違いは、気持ちが悪い。人は、この気持ち悪さを消そうとします。いちばん楽な消し方は、行動を変えることではなく、考えのほうを変えることです。「吸っていても長生きする人はいる」。これが、自己正当化です。
この記事では、理論の中身を説明したあとで、私自身がやっていた自己正当化を2つ、そのまま書きます。どちらも、自分でそうと分かっています。分かっていても、片方は、まだやめられていません。そのあとで、売る側として見てきた、買った人の自己正当化と、私がそれにどう備えているかを書きます。
1. 認知的不協和とは
心理学者のレオン・フェスティンガーが、1957年に出した理論です。有名な実験があります。
参加者に、とても退屈な作業を、1時間やらせます。そのあとで、次の参加者に「おもしろい作業でしたよ」と伝える役を頼みます。お礼は、ある人たちには1ドル、別の人たちには20ドルです。最後に、本人に、作業が本当はどのくらいおもしろかったかを聞きます。
「おもしろかった」と答えたのは、1ドルしかもらわなかった人たちでした。
20ドルもらった人は、「お金のために、うそを言った」と、自分に説明がつきます。1ドルの人は、つきません。「退屈だった」と「おもしろいと人に言った」が、食い違ったまま残ります。だから、「本当に、少しはおもしろかった」と、考えのほうを変えました。
食い違いの消し方は、4つあります。
| 消し方 | たばこの例で言うと |
|---|---|
| 行動を変える | やめる |
| 考えを変える | 「言われているほど、体に悪くはない」 |
| 理由を足す | 「ストレスをためるほうが、体に悪い」 |
| 小さく見る | 「どうせ、人はいつか死ぬ」 |
行動を変えるのが、いちばん大変です。だから、人は、下の3つを選びます。
2. 私の自己正当化①|試していない理論を、低く見ていた
売る文章の型に、PASONAの法則というものがあります。一般の本は、これを使えと勧めます。私は、長いあいだ、「言うほどのものではない」と思っていました。
試して、効かなかったわけではありません。私は、物語の型を土台にして発信を作り、それで安定して売れてきました。自分が選んだやり方が、うまくいっている。そこへ、「別の型のほうが良いかもしれない」という考えが入ってくると、食い違います。だから、試す前に、相手のほうを低く見ました。「数千年残ってきた物語の型に、できて数十年の型が、勝てるはずがない」。もっともらしい理屈まで、用意していました。1章の表で言えば、「理由を足す」です。
あとで、自分の登録ページをPASONAに当てはめてみたら、使っていないはずのその順番に、ほぼそのまま並んでいました。くわしくはPASONAの法則とはに書きました。
この自己正当化のこわいところは、うまくいっている人ほど、かかりやすいことです。うまくいっているあいだは、ほかのやり方を試す理由がありません。試していないので、くらべられません。くらべられないので、自分のやり方がいちばんだ、という考えが、ずっと壊れずに残ります。
3. 私の自己正当化②|やる価値がないと分かっていることを、続けている
もう1つは、いまも続いています。
私は、FXの自動売買に、本気で取り組んだ時期があります。売られているしくみを100個以上検証し、買ったものと、取り引きの損失を合わせて、250万円以上を失いました。結論は、ずっと前に出ています。私にとって、これは、やる価値がありません。同じお金を、指数に連動する投資信託に入れて放っておいたほうが、ずっと増えていました。
それでも、いまも、小さな口座で続けています。
「やる価値がない」と「続けている」は、食い違っています。私は、この食い違いを、「小さな口座だから」「テストだから」という言い方で、やわらげているのだと思います。1章の表の、「小さく見る」と「理由を足す」です。行動を変えるのが正解なのに、考えのほうを、いじっています。
やめられない理由は、コンコルド効果とはに書きました。中途半端に本気でやったので、身につけた知識を、むだだったと認めたくないのです。
4. 売る側から見た、買った人の自己正当化
教材を売る仕事をしていると、買った人の側の自己正当化も、見ることになります。いちばん多いのは、この形です。
- お金を払った
- でも、やっていない
この2つは、食い違います。消し方は、2つあります。やるか。「この教材が、だめだった」と考えるか。私が受けたクレームの中に、やってもいないのに、やり方がだめだと言う、というものがありました。この人がうそをついている、とは思いません。本人の中では、本当に、教材がだめだったことになっているのだと思います。1ドルの実験と、同じ形です。
逆向きの自己正当化も、あります。高いお金を払った人ほど、「これは良いものだったはずだ」と思いこみます。苦労して入った集まりほど、人はその集まりを高く評価する、という研究があります。結果が出ていないのに、自分が通った高額な塾を人に勧める人がいるのは、この働きで説明がつきます。
私は、どちらにも、先に備えるようにしています。
| 備え | ねらい |
|---|---|
| 買う前に、70分の課題を出す | 「払ったのに、やらない」人を、買う前に減らす。やらない人は、ここで自分で気づく |
| 向いていない人を、登録ページと販売ページの両方に書く | 買ったあとで「思っていたのと違う」となる人を、減らす |
| うまくいかない割合を、先に書く(10台に1台は利益が出ない) | 失敗したときに、「聞いていない」ではなく「知っていた」になる |
| 購入後に、こちらから3回、進み具合を聞く | 止まっている人に、こちらから理由を聞く。動いていない人ほど、自分からは質問しない |
| 個別の指導は、面談を通った人にだけ売る | 相性の合わない人には、売らない |
私自身も、売る側として、同じ形にはまりかけたことがあります。最初に売った教材は、買った人の中から、達成者が出ませんでした。「買った人の努力が足りなかった」と考えれば、楽でした。でも、それは、1章の表の「考えを変える」です。実際には、お金が戻ってくるまでの時間が長すぎる、というやり方の側の問題でした。教材を作り直したのは、そう認めたからです。経緯は商品の作り方に書きました。
5. 自己正当化に、どう気づくか
自分の自己正当化には、自分では気づけません。気づけないから、自己正当化です。私がやっているのは、次のことです。
- もっともらしい理屈が、すらすら出てきたら、疑う。2章の「数千年残ってきた型に、勝てるはずがない」は、とてもすらすら出てきました。試していないことについて、理屈だけが立派なときは、だいたい、これです
- 「試したか」「くらべたか」「測ったか」を、自分に聞く。3つとも「いいえ」なら、それは結論ではなく、好みです。好みなら、好みだと言えば済みます
- 自分の外に、点検させる。私は、自分の教材や、考えていることを、AIに評価させて、弱いところを直す材料にしています。AIは、私に遠慮しません。私が絶対に必要だと考えている理論について、「いまは、昔ほど有効ではありません」と反論してくることがあります。実際の結果と照らしてみると、AIの指摘のほうが正しかった、ということがありました
- 自分がやめたものの、その後を書く。私は、かつて一緒に会社を作った人たちから、離れました。その会社は、その後も成長を続けています。自己紹介には、「僕の判断が正しかったという話ではありません」と書いてあります。離れた先がうまくいっている、という事実を、消さずに置いておく。自己正当化をしない練習として、やっています
6. まとめ
- 認知的不協和は、自分の中の食い違いが生む、居心地の悪さ。人は、行動ではなく、考えのほうを変えて、それを消す。これが自己正当化
- 私は、うまくいっている自分のやり方を守るために、試していない理論を低く見ていた。うまくいっている人ほど、かかりやすい
- やる価値がないと分かっているFXの自動売買を、「小さな口座だから」「テストだから」と言って、いまも続けている
- 買った人は、「払ったのに、やっていない」の食い違いを、「教材がだめだった」で消すことがある。売る側は、買う前の課題と、うまくいかない割合の開示で、先に備える
- 気づき方は、理屈がすらすら出たら疑う、試したか・くらべたか・測ったかを聞く、自分の外に点検させる

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