横浜市の東戸塚に引っ越して1週間目の夜、部屋の中にゴキブリが入ってきました。
そのとき、カイジのあの有名なセリフが頭の中で再生されました。ここに書かなくても、読んだことのある人なら分かると思います。
私はそれまで、月島の親が買った家に20年住んでいました。家賃は払っていません。散々馬鹿にしてきた「収益物件で暮らす人たち」の生活に、都落ちで自分が落ちた。これが底辺の生活なのかと、その解像度を身をもって理解した1年でした。
この記事は「底辺の人間とは何か」を、両側に立ったことのある人間が書いたものです。世間の定義では底辺だった時期が何度もあり、同じ時期に別の場所では特権階級だった。だから私は、底辺とは人の属性ではなく、その人を判定している「場所」の属性だと考えています。
前半で言葉の意味と、世間で言われる特徴20個、人間性の共通点を整理します。後半で、なぜ同じ人間が場所によって底辺にも特権階級にもなるのか、私の経歴と居住地の移り変わりで示します。自分が当てはまっているかもしれないと思ってこのページを開いた人は、4章から読んでください。
1. 底辺の人間とは?言葉の意味と、世間で使われる5つの基準
「底辺」は正式な身分でも、人の価値を表す用語でもありません。ネットや日常会話で、社会的に低い位置にいると見なされた人を指す俗語です。
世間でこの言葉が使われるとき、判定の基準は概ね5つに分かれます。
- 収入:低賃金、貯金がない、借金がある
- 仕事:非正規、無職、誰でもできると言われる職種
- 学歴:偏差値の低い高校・大学、あるいは中退
- 生活:部屋が荒れている、身なりに構わない、食事や睡眠が崩れている
- 人間性:他責、約束を守らない、感謝や謝罪ができない、他人から奪う
ここで押さえておきたいのは、前の4つと最後の1つは性質が違うということです。収入・仕事・学歴・生活は「状態」で、外から数字や見た目で判定されます。人間性だけは「行動」で、その人が誰に対してどう振る舞うかで判定されます。
「底辺の人間」と検索する人が本当に知りたいのは、たいてい後者です。年収が低い人を底辺と呼びたいわけではなく、「なぜあの人はああいう振る舞いをするのか」「自分もそうなっていないか」を確認したい。この記事もそこに重心を置きます。
底辺は人の属性ではなく、判定している側の属性
先に私の結論を書きます。同じ人間が、判定する場所が変わるだけで底辺にも特権階級にもなります。私自身の例を4つ並べます。
| 場面 | 世間の判定 | 同じ時期の実態 |
|---|---|---|
| 大学 | 卒業研究すらやらせてもらえない落ちこぼれ | 大学3年から古本の転売で、学費・教科書代・定期代・就活のスーツ代まで自分で払っていた |
| 就職活動 | 証券会社の最終面接で落とされた無職 | 転売の師匠に弟子入りし、収入は月50万円規模。当時の新卒としてはトップクラスの水準 |
| 住居 | 親の家に住み続ける人間 | 月島に20年、家賃を払わずに東京を満喫した。その後、東戸塚では入居1週間でゴキブリ、家賃と駐車場が高く、違約金を払って1年で退去 |
| 仕事 | 会社員としての職歴がない | 古物商として、古物市場では買い手側に立って値をつける側 |
どの行も、私は同じ人間です。変わったのは判定している相手だけです。就職市場は私を無能と判定し、同じ時期に古本市場は私の目利きに金を払った。
これが、この記事の全部の前提になります。底辺かどうかは、その人を判定する相手が一人しかいないか、複数いるかで決まる。判定者が一人しかいない状態が長く続くと、人はその一人に人生を握られ、後で書く「底辺の人間性」が出てきます。
2. 底辺の人間に共通すると言われる特徴20個
世間で言われる特徴を、お金・仕事・人間関係・生活・考え方の5つに分けて整理します。判定基準としてよく挙がる「年収いくら以下」「本を何冊読んでいない」のような数字は入れていません。数字は環境で変わりますが、行動は変わらないからです。
お金
- 収入に対して支出を管理していない。手取りと毎月の支出を把握していない
- リボ払いや借金が常態化している
- 給料日前に毎月金欠になる
- 将来の収入を増やす手段を考えない。今の収入が上がらない前提で愚痴だけが増える
仕事
- 仕事を失ったときの次の選択肢を考えていない
- スキルや経験が蓄積されない仕事から抜けられない
- 会社への不満は多いが、転職活動も副業もしない
- 指示待ちで、問題が起きても「なぜそうなったか」を考えない
人間関係
- 会話の中心が悪口と不平不満
- 「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない
- 遅刻やドタキャンを繰り返し、相手の時間を軽く扱う
- 周囲も同じ価値観の人間で固まり、外からの情報が入らない
生活
- 部屋が極端に荒れている
- 身だしなみに無頓着で、清潔感がない
- 睡眠と食事が崩壊している。昼夜逆転、菓子パンとカップ麺が主食
- お金・健康・仕事の問題を放置し、先送りにする
考え方
- 自分の非を認めず、常に他責
- 他人の成功を妬み、足を引っ張る
- 過去の学歴や武勇伝にすがり、今の自分を直視しない
- 目先の快楽を優先し、ギャンブルや課金で将来の資産を食いつぶす
20個を眺めると、2種類に分かれることが分かります。「お金・仕事・生活」は判定者が一人しかいない環境に置かれた結果として出てくる状態で、「人間関係・考え方」はその状態が長く続いた人に出てくる行動です。前者は環境が変われば消えますが、後者は環境が変わっても残ります。だから世間は後者を「人間性」と呼んで、別枠で嫌うのです。
3. 底辺の人間性に共通する特徴
「底辺 人間性」で検索する人が多いのは、底辺を貧乏の問題ではなく振る舞いの問題として見ているからです。私も同じ見方です。以下は、判定者が一人しかいない状態が長く続いた人に出やすい行動だと私は考えています。
他責思考が強い。自分を判定する相手が会社一つ、家族一つしかない人は、うまくいかないときにその一つのせいにするしかありません。判定者が複数いる人は、一つに断られても別の場所で評価されるので、他責になる必要がない。他責は性格の問題というより、逃げ場のなさから出てくる構造だと思います。
他人から受け取ることばかり考える。いわゆるテイカーです。買い手が一つしかない人は、目の前の相手を次の買い手にしようとします。金を借りる、時間を奪う、責任を渡す。断ると態度が変わるのは、その相手に「買ってもらう」以外の選択肢がないからです。
他人の成功を妬む。自分に買い手がいない時期ほど、他人の買い手が目に入ります。私が証券会社に落ちたあとに就職への未練が消えたのは、性格の問題ではなく、古本の買い手がすでについていて、こちらでやっていけると分かっていたからです。
感謝と謝罪ができない。頭を下げることを「負け」と捉える人は、判定者が一人しかいない世界で、その一人に頭を下げ続けてきた人です。下げる相手を自分で選べる人は、下げることが怖くなくなります。
約束を軽く扱う。相手を「次の買い手」としてしか見ていないので、約束を守ることの価値が見えません。買い手が複数いる人は、一つの約束を破ると次の買い手に伝わることを知っているので守ります。
短期的な快楽を優先する。将来に判定者が増える見込みがない人にとって、将来のために我慢する理由がありません。パチンコや課金は、将来が信じられない人の合理的な行動です。合理的だからこそ、説教では止まりません。
まとめると、底辺の人間性と呼ばれるものは、判定者が一人しかいない状態への適応の結果です。人格の欠陥として片付けると、当人にも周囲にも打ち手がなくなります。
4. 「底辺な人」と「単に苦しい人」は違う。そして、あなたにも当てはまる箇所はある
低収入、非正規、無職、低学歴、貧困。これらだけでは人間性は判断できません。私自身、就職活動では無職で、大学では落ちこぼれでした。世間の基準で並べれば、当時の私は「底辺」の条件を複数満たしています。
けれど同じ時期に古本の買い手がいた。判定者が複数いたので、私は他責にも、テイカーにもならずに済みました。逆に言えば、収入があっても判定者が一人しかいない人は、いつでもこちら側に落ちてきます。
ここで、自分が当てはまるかもしれないと不安になってこのページを開いた人に、正直に書きます。当てはまる箇所は、誰にでもあります。
極論すれば、東証プライム(旧一部)上場企業の社員でも、権限は限定的で、株主のために働き、どれだけ身を粉にして働いても会社が自分の所有物になることはありません。一生賃貸に家賃を払って、資産にならないものを作り続けているのと構造は同じです。定年と同時に社会に放り出され、そこから先は社会からの要請が来ることのほうが少ない。あるいは途中で人員整理や部署閉鎖に遭い、転職先がなくなって、そこから底辺の生活に落ちる人もいます。就職氷河期の世代を見ればいくらでも例があります。
つまり「当てはまるかどうか」で不安になるのは筋が違います。当てはまる箇所の数は誰でも似たようなものです。違いは、あなたを判定している相手が一人なのか、複数なのか。そこだけです。
会社一つ、家族一つ、地元一つ。判定者がすべて一人ずつしかいない人は、いま収入があっても底辺の条件を満たしています。逆に、収入が低くても、自分の判断に金を払う相手が会社の外にもう一つある人は、条件を満たしていません。
5. 「底辺とは関わるな」と言われる理由と、距離を取る基準
「底辺とは関わるな」という言葉も検索されています。年収が低い人と関わるなという意味なら、私はそれに賛成しません。私自身が、年収で判定されれば底辺だった時期に、一番まともに働いていたからです。
距離を取るべきなのは、状態ではなく行動で判定できる人です。
- 金銭トラブルを起こす。借りて返さない、奢られて当然と思う
- 約束を守らない。遅刻やドタキャンに罪悪感がない
- 他責が強い。うまくいかないことを全部、会社や国や相手のせいにする
- 他人から奪う。あなたの時間、金、人脈を「自分の買い手」として使おうとする
3章で書いた通り、買い手が一つしかない人は、目の前の相手を次の買い手にしようとします。関わると、あなたがその「一つ」にされる。金を貸してくれ、仕事を紹介してくれ、話を聞いてくれ。断ると態度が変わる。それが「関わるな」と言われる実際の理由です。
判定のしかたは簡単で、一度だけ小さく断ってみることです。断られても関係が変わらない人は、あなたを買い手として見ていません。断った瞬間に距離ができる人は、そうだったということです。
6. 関東という場所が、私にとっては底辺だった話
ここからは読み物です。同じ人間が場所によって底辺にも特権階級にもなる、という話を、住んだ街の順に書きます。
北柏の20年と、月島の20年
私はイギリスで生まれ、日本に戻ってからは荻窪、北柏、月島と暮らしました。北柏には20年住みましたが、街はまるで成長しませんでした。閉鎖的で、近所の人間の話題は、誰がどこの会社に勤めているか、子どもがどこの大学に進学したか、そればかりでした。判定者が近所という一つの集団しかいない街です。
月島に引っ越すと、そういう話をする人を見かけなくなりました。近所付き合いをしなくても生活が成立する世界があることに驚きました。親はその家を8,000万〜9,000万円で買いました。2000年代半ばのインフレが来る前の価格なので、文明を贅沢に使った作りです。私はそこに20年住みました。家賃は払っていません。判定者の目で見れば、親の家に居座る人間です。
東戸塚で、生活が北柏レベルに後退した
月島を出て東戸塚に住んだとき、私の生活は北柏のレベルに後退したと感じました。
駅から遠く、どこへ移動するにも坂で非効率。スニーカーは3か月で擦り減って駄目になり、車のタイヤも1年程度で摩耗して交換しました。駅に行けば同じホームに行き先の違う電車が入ってきて、ホームドアすらついていない。店は24時間ではなく、21時か22時になると閉まる。原始時代に戻された気持ちになりました。
そして、こんな環境なのに家賃は駅近だと高い。横浜駅周辺、みなとみらいのようなエリアは家賃が30万円を超え、物件価格は1億円を超えています。煽りではなく、これはどんな種類の罰ゲームなのだろうと思いました。横浜はブランドは立っているかもしれませんが、吉祥寺と同じで「住みたい街」であって「住みやすい街」ではない。そう結論して、違約金を払って1年で出ました。
入居1週間でゴキブリが入ってきた夜のことは冒頭に書きました。あのとき私は、散々馬鹿にしてきた側の生活に、自分が落ちたことを理解しました。判定する側にいた人間が、判定される側に回った。底辺の生活の解像度は、落ちてみないと上がりません。
海浜幕張のハリボテ
次に住んだ海浜幕張は、家賃がエリア最安で、差引では文句のない部屋でした。ただし建物は、管理費が安い分、ドン引きするレベルで汚い。近隣のマンションはインフレで修繕積立金が足りていないようで、壊れた設備をそのまま放置している所がいくつもあります。そんな物件に4,000万〜5,000万円の値がつき、しかも借地権で、おそらくあと20年しか住めない。築30年が経過しているのにエレベーターは更新されておらず、暗くて狭い。これはハリボテだと思いました。外から見れば海浜幕張もブランドは立っていますが、長期的に住む場所ではないと判断しました。
関東そのものが、私には底辺だった
関東のマシな場所でもこれです。家賃を積んでも、駐車場が空いていないタワーマンションか、築30年を超えたオンボロマンション(こちらは駐車場が空いている)の二択しかない。千葉にこれ以上お金を払うのが馬鹿らしくなりました。埼玉も検証しましたが、銀座や表参道へのアクセスが悪くなるので、これも馬鹿らしい。
そこで、関東そのものが私にとっては底辺の生活であり、住みにくい場所なのではないか、と考えるようになりました。
名古屋は100%の車社会ですが、地下鉄もあり、駐車場は空いていて、24時間営業の店がいくつもあります。そういう文明のある場所で次の10年を過ごすほうが、よほど人間らしい生活ができる。
世間からすると、私は都落ちです。関東から地方に落ちる人。でも私からすると、関東にしがみついて、たかが仕事のために住みたくもない家や待遇に甘んじているほうが、よほど不幸であり、底辺です。見下す意志はありません。私は名誉ある敗北を受け入れて、それなら底辺でいいとすら思っています。
この章で言いたいのは一つです。私を「都落ち」と判定するのは関東という一つの場所で、私はその判定者を降りることができた。判定者を降りられる人と降りられない人の差が、底辺かどうかの差です。20年一つの場所に住んで成長しない街と、近所付き合いなしで生活が成立する街の差でもあります。
7. 自分が「底辺な状態」になっていると感じたら
ここまで読んで、自分は判定者が一人しかいない側だと思った人へ。やることは一つで、判定者を一人増やすことです。収入を上げることでも、自己啓発でもありません。
会社一つしか買い手がない人は、会社の外に、自分の判断に金を払う相手をもう一つ作る。私の場合それは古本の買い手であり、いまは古物市場と読者です。金額は問題ではなく、月に数万円でも「会社に断られても、こちらは買ってくれる」相手がいるだけで、他責も、テイカーも、嫉妬も、出てくる理由がなくなります。
職歴がなく、いまの収入では選択肢が作れない人向けには、このサイトで順序を書いた記事があります。
- 職歴を作る順序:警備で宿直の待機時間に資格を取り、設備管理に移る
- 借金がある人の順序:期間工で返済しながら次の判定者を作る
- 「底辺で人生終わり」と感じている人:人生を4層に分けて、どの層が終わっているのかを切り分ける
- 40代で落ちたと感じている人:40代の人生どん底
住む場所についても同じです。関東という一つの判定者に人生を握られていると感じるなら、家賃の考え方から見直す価値があります。私が関東を降りるのに20年かかったのは、判定者を降りられることに気づくのが遅かったからです。
まとめ:底辺は人ではなく、判定している場所の属性
底辺の人間とは、収入や学歴で決まる属性ではありません。世間が言う特徴20個のうち、お金・仕事・生活は判定者が一人しかいない環境の結果で、人間関係・考え方はその環境に長く置かれた人に出る行動です。人間性と呼ばれるものは、逃げ場のなさへの適応です。
同じ私が、大学では落ちこぼれで古本市場では自立した若者、就職市場では無職で転売では月50万、月島では特権階級で東戸塚ではゴキブリと同居、関東では都落ちで名古屋では人間らしい生活。判定する場所が変わるだけで、底辺にも特権階級にもなります。
当てはまる箇所は誰にでもあります。上場企業の社員にも、家賃を払い続ける人にも、定年後の人にも。違いは、あなたを判定する相手が一人か複数か。一人しかいないなら、もう一人作る。それが、この記事の答えです。

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