仕事はできないのに、休みと手当と「それは私の担当ではありません」だけは人一倍はっきり言う人がいる。その人が定時で帰ったあとの穴を埋めているのは自分で、査定は同じ。この状況で「無能ほど権利を主張する」という言葉を検索したくなる気持ちは、私にはよく分かります。
ただし、私は同僚としてその人の隣に座ったことがありません。いわゆる正社員として会社に勤めた経験が一度もないからです。代わりに持っているのは、人を雇って給料を払った側の経験と、20年近く「会社ではなく市場」に物を売って生きてきた経験です。
この記事は、その二つの立場から書きます。心理学の用語で相手を分類する話はしません。ダニング=クルーガー効果もアドラーも出てきません。代わりに、なぜ権利を主張する人が得をするように見えるのかを、評価の仕組みの側から説明します。結論を先に言うと、原因は相手の人格ではなく、あなたを評価している人の数です。
「無能ほど権利を主張する」は観察としては正しい
まず、この言葉を否定するつもりはありません。職場でそう見える現象が起きていること自体は、たぶん事実です。問題は「なぜ起きるか」の説明のほうで、ここを「そういう性格の人だから」で済ませると、対処法が「相手を変える」か「自分が我慢する」の二択になってしまいます。どちらも現実には機能しません。
権利主張はコストがゼロの入札
会社の中で、自分の待遇を上げる方法は大きく二つあります。成果を出すか、権利を主張するかです。この二つは、かかるコストがまったく違います。
成果で待遇を上げようとすると、まず成果を出すまでに時間がかかり、出した成果が評価者に正しく測られるかどうかは評価者の裁量に依存し、測られたとしても待遇に反映されるのは次の査定以降です。途中で評価者が変われば、積み上げは消えることもあります。
権利で待遇を上げようとすると、就業規則や労働法にすでに書いてあることをなぞるだけで済みます。有給は取れる、定時で帰れる、担当外の仕事は断れる。これは主張した瞬間に効き、拒否した側が法的にも社内的にも不利になるので、通る確率が高い。成果は不確実で遅い入札、権利は確実で速い入札です。
この差を前提にすると、「成果で入札できない人ほど権利で入札する」のは、性格の問題ではなく合理的な選択です。無能だから権利を主張するのではなく、成果という通貨を持っていない人にとって、権利が唯一使える通貨だというだけの話です。
「無能ほどルールを作りたがる」も同じ構造
似た言葉に「無能ほどルールを作りたがる」があります。これも同じ仕組みで説明できます。ルールは、成果を出さなくても「仕事をした」ことにできる通貨です。手順書を増やす、承認フローを足す、報告フォーマットを決める。どれも目に見える成果物が残り、しかも「決まりを守っていない」という形で他人を評価する側に回れる。成果で勝負できない人にとって、ルール作りは権利主張と同じくらいコストの安い入札です。
なぜその入札が通るのか:評価者が一人しかいないから
ここが本題です。権利という安い入札が通ってしまう職場には、共通の条件があります。評価者が一人、多くても数人しかいないことです。
会社員の給料は、市場ではなく社内の規則で決まります。上司の評価、人事の等級表、賞与の原資。あなたの仕事に値段をつける人は、実質的に一人か、せいぜい数人です。この構造では、評価者が測りにくいもの(成果の質、他人の穴を埋めた量)は反映されにくく、評価者が測りやすいもの(規則に書いてあること、目立つ発言)は反映されやすい。声の大きい人が得をするのは、評価者が少ないと「声」が測定値になってしまうからです。
逆に言えば、評価者の数が増えると、声の大きさは価格に反映されなくなります。これは理屈ではなく、私が20年間見てきた事実です。後半で書きます。
権利を主張する側が正しい場面のほうが多い
誤解のないように書いておくと、権利主張そのものは間違っていません。定時で帰るのは契約通りですし、有給も担当範囲の線引きも、労働法と就業規則が保証しているものです。「無能ほど権利を主張する」と感じている側も、頭では分かっているはずです。だからこそ腹が立つのであって、相手が規則違反をしているなら話はもっと簡単です。
問題は権利の側にはなく、穴を埋めた側に対価が流れる装置がないことにあります。相手が定時で帰るのは正しく、あなたがその分を埋めるのも業務上は必要で、しかしその埋めた分を測って値段をつける仕組みが社内に存在しない。権利は規則で保証されているのに、成果は規則で保証されていない。この非対称が、真面目な人が損をする構造の正体です。
私が雇う側だったときも同じでした。アルバイトの時給2,000円は、その日の売上がいくらでも2,000円です。時給契約なので当然で、私もそれを成果に連動させようとは思いませんでした。連動させれば、売れない週の責任を時給2,000円の人に負わせることになるからです。権利を固定するのは雇う側の判断であり、雇われる側がそれを主張するのは筋が通っています。だから対処法を「相手の権利意識を改めさせる」方向に置くと、正しい相手と戦うことになります。
雇う側から見た「権利と成果の分離」
私は2019年から2022年頃まで、ブランド品の転売を本業の規模で回していました。主力はCHANELとルイ・ヴィトンのバッグで、単価3万〜15万円のものが多く、販売点数は週50〜150点、仕入れに使う金は月600万円以上という規模です。一人では回らないので、社員一人(当時は親族を雇用していました)と、アルバイトを使っていました。
給料は最初から成果に連動していない
人件費は、社員に月35万円、アルバイトに月10〜15万円程度(時給2,000円で週3日・1日3時間ほど)でした。一方で、この事業の月利は人件費を引く前で80万〜200万円前後と、月によって大きく振れました。
ここで気づいたのは、雇用契約の時点で「権利は固定、成果は変動」を、雇う側が受け入れているということです。利益が80万の月も200万の月も、給料は同じ。従業員が「今月は利益が少ないので給料を下げます」と言われる筋合いはないし、実際そんなことは言えません。従業員が権利を主張するのは、契約通りの行動です。
では、成果の変動は誰が吸収するのか。雇う側です。私の場合、人件費45〜50万円を引き、自分の給与として100万円を乗せると、利益が200万円を超えない月は逆ザヤでした。200万円を超える月なら残りますが、常には出ません。数字に追われるストレスは相当なものでした。
会社の中でこれと同じ役割を負わされているのが、「権利を主張する人の穴を埋めている真面目な人」です。契約上、成果の変動を吸収する義務は誰にもないのに、実務上は誰かが吸収しないと回らない。雇う側にはその分の利益(が出れば)が返ってきますが、同僚にはそれすら返ってきません。あなたが理不尽だと感じているのは、雇う側の負担を、雇う側の取り分なしで背負わされているからです。
権利を削っても解決しなかった
親族雇用の実態を正直に書くと、やる気があるときは契約時間を超えて4〜5時間動いてくれる一方で、動き出すまでに時間がかかり、安定しませんでした。私にできたのは、給料を下げることでも権利を削ることでもなく、最終的に体制そのものを畳むことでした。この事業から撤退した理由の一つは、この体制が崩れたことです。
会社組織にしようとすると、私の場合は無理でした。自分とアルバイト程度の小規模なら破綻しないという感覚は今もありますが、人を増やして「権利は固定、成果は変動」の構造を大きくするほど、変動を吸収する側の負担は増えます。権利を主張する人を直そうとするのは、この構造を個人の努力で相殺しようとすることと同じで、雇う側の私ですら成功しませんでした。
市場には権利を主張する窓口がない
もう一つの立場、市場に物を売る側の話をします。こちらは評価者が一人ではなく、不特定多数です。
私自身が「権利」を持たない側だった時期
古本せどりが主力だった頃、私は約2年にわたって不調でした。金は入ってくるのに楽しくなく、ベッドから起き上がれない日が続き、梱包と発送が遅れて顧客からクレームが入りました。どれだけ儲かっていても発送作業に手がつかず、遅れ続けました。
このとき市場は、私の事情を一切聞きませんでした。「体調が悪かった」「一人でやっているので」という主張をする窓口は存在しません。評価は下がり、それだけです。会社員なら休職や配慮を「権利」として求められる場面でも、市場に売る側には何もない。市場に権利主張という通貨は流通していないのです。
これは厳しい話に聞こえるかもしれませんが、裏返すと、市場では声の大きさも価格に反映されないということです。
直した物は、誰が何を主張しても同じ値段で売れる
動かない録画機器を1,000円以下で仕入れ、中古ドライブ(部品代2,000円程度)に交換し、ついでに容量を増やして15,000円で売る。これは私の現場の実例の一つですが、この15,000円という価格は、私が何を主張したかとは無関係に決まっています。買い手は動くかどうかと価格だけを見ます。
売り手が「自分は20年やっている」「これは労力がかかった」と言っても1円も上がらないし、逆に何も言わなくても、動くものは動くものの値段で売れます。評価者が多数いる場所では、権利も声も測定値にならず、成果だけが測定値になる。これが、会社の中と外の決定的な違いです。
整理すると次の表になります。
| 評価者が一人(会社の中) | 評価者が多数(市場) | |
|---|---|---|
| 値段を決めるもの | 内部規則と評価者の裁量 | 買い手の需要 |
| 権利主張の効き方 | 効く(規則に書いてあれば通る) | 効かない(窓口がない) |
| 成果の効き方 | 測られるかどうかが評価者次第 | そのまま価格になる |
| 成果の変動を吸収する人 | 穴を埋める同僚(取り分なし) | 売り手本人(取り分あり) |
| 真面目な人の損得 | 損をしやすい | 損をしにくい |
「攻略」すべきは相手の心理ではなく、自分の評価者の数
ここまでの構造を踏まえると、検索上位に並んでいる「心理学で攻略」「アサーティブに伝える」「記録を残す」といった対処法の位置づけがはっきりします。
社内でできることは、構造を変えない
記録を残す、対応できる範囲を明確に伝える、必要なら上司や人事に上げる。これらは有効です。特に記録は、評価者が一人しかいない場所で「測りにくい成果」を測れる形にする唯一の手段なので、やらないよりやったほうがいい。
ただし、どれも「評価者が一人」という構造の中での最適化です。権利主張という安い入札が通る条件は残ったままなので、相手が変わっても次の相手が同じことをします。異動や転職も、評価者を別の一人に交換するだけで、評価者の数は増えません。
評価者を増やすと、社内の不公平の重みが下がる
私が唯一「構造そのもの」を変えると考えているのは、会社の外に、自分の判断に金を払う相手を一つ持つことです。規模は問いません。月3万円でも、評価者の数は一人から二種類に増えます。
これで社内の権利主張が消えるわけではありません。変わるのは、その不公平があなたの収入と自尊心に占める割合です。評価者が一人しかいない状態では、その一人の測定の歪みが100%効きます。もう一つ評価者があると、社内の歪みは「一部」になり、定時で帰る同僚の穴を埋めながら「まあ、こちらは市場が正しく測ってくれている」と思える余地が生まれます。私が20年、会社に勤めずにいられた理由の半分はこれです。
計算機:社内の歪みが自分に効いている割合
感覚ではなく割り算で見たほうが早いので、簡単な計算機を置きます。前提は「収入の出どころが、そのままあなたを評価している人の構成である」という単純化です。会社からの手取りが収入の100%なら、社内の評価の歪みは100%効いています。外に評価者を持つと、その割合が下がります。
穴埋めに使っている残業時間も入れると、あなたが実際に受け取っている時給が出ます。残業代が全額出ている人は「サービス残業」を0で構いません。
この計算機は「収入の割合=評価者の構成」という単純化の上に立っています。実際には自尊心や生活の重心はもっと複雑ですが、100%か、そうでないかの差は、割り算で見たほうがはっきりします。
どんな形で評価者を増やすかは人によりますが、私の場合は壊れた中古品を直して売ることでした。理由は単純で、成果が「動くか動かないか」という形で誰にでも測れるからです。評価者が一人の世界で消耗した人ほど、測定が曖昧でない場所を選んだほうがいいと考えています。
自分が「権利を主張する側」に回る日
最後に、視点を反転させます。ここまでの話が正しいなら、権利主張は性格ではなく構造への合理的な適応です。つまり、成果という通貨を失えば、あなた自身もいずれ権利で入札する側に回ります。年齢、体調、部署の閉鎖、専門分野の陳腐化。成果が出せなくなる理由はいくらでもあり、そのとき手元に残る通貨は権利だけです。
そうなったときに、あなたが「無能」と判定されるかどうかは、あなたの能力ではなく、評価者の数で決まります。評価者が一人なら、その一人の測定に外れた瞬間に無能です。評価者が多数なら、どこかに買い手が残ります。この点は「研究室で無能と言われてつらい」で、私自身が証券会社の最終面接で落とされた話と、同じ時期に古本で経済的に自立していた話を並べて書きました。同じ人間が、評価者によって無能にも自立した若者にもなる、という実例です。
「無能ほど権利を主張する」という言葉で相手を見ているうちは、自分がその構造の中にいることが見えません。相手を心理学で分類するより、自分の評価者が今何人いるかを数えるほうが、先に着手すべきことだと私は思います。
よくある疑問
パワハラする人ほど無能、というのも同じ構造ですか
同じだと考えています。評価者が一人の環境では、上の立場の人間も「職位」という権利で入札できます。成果で部下を動かせない人ほど、職位で動かそうとする。権利主張が横に向くと「担当外です」になり、上から下に向くとパワハラになる、という違いだけです。どちらも成果という通貨を持っていない人の合理的な行動で、対処の方向も同じです。
権利を主張する人を、雇う側はなぜ切らないのですか
切れないからです。雇用契約は「権利は固定」を前提にしているので、権利を行使しているだけの人を成果不足で切ることは、法的にも実務的にも難しい。私が雇う側だったときも、選択肢は待遇を変えることではなく、体制を畳むことでした。雇う側が動けないなら、穴を埋めている側が自分の評価者を増やすほうが早い、というのがこの記事の結論です。
結局、我慢するしかないということですか
社内の構造については、はい、個人の努力では変わりません。ただし我慢の重さは変えられます。会社以外の評価者を一つ持つと、社内の不公平が収入と自尊心に占める割合が下がります。構造を変えるのではなく、構造が自分に効く割合を下げる、という考え方です。
まとめ
「無能ほど権利を主張する」は、観察としては正しい。ただし原因は人格ではなく、成果という通貨を持たない人にとって権利がコストゼロの入札であること、そしてその入札が通ってしまうのは評価者が一人しかいないことです。
私は雇う側として「権利は固定、成果は変動」の構造を引き受け、それを個人の努力で相殺できずに撤退しました。同時に、市場に売る側として、権利も声も価格に反映されない場所を20年見てきました。相手を攻略するより、自分の評価者の数を一人から二種類に増やすこと。それが、この現象に対して私が知っている唯一の構造的な対処です。
関連して、一人で働くことの実態は20年自宅で一人で働いてきた側から見たテレワークに、評価者が事実上不在の環境で何が起きるかは放置系研究室の記事に書いています。

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