はじめまして、細野(ほその)と申します。
このページでは僕の自己紹介と、当サイトの趣旨について語っていきます。
僕は現在、会社の経営者として3つの事業に取り組んでいます。
立場的には代表取締役社長となり、会社のトップを勤めています。
しかしこのような生き方、立ち位置を最初から望んでいたわけではありません。
僕がどんな人生を過ごしてきたか語ります
僕は1983年にイギリス・ロンドンで生まれ、3歳の時に日本に帰国をしました。
海外で生まれた理由は両親の仕事が理由で、日本に帰国をしてからは千葉県で20歳まで過ごしました。
現在は東京に住み、妻と2人で生活をしています。
僕の価値観の元となる経験は幼少期から成人をするまで過ごした、千葉県での体験が元になっています。
僕は兄弟姉妹がいない環境で育ったことがあり、兄弟がいる人であれば自然と身につけるであろう、人との間の取り方が上手ではありません。
現在でも知らない人がいる場に出ていったり、不慣れな土地に行くのはとても抵抗があり、自宅で過ごすのが一番居心地がいいと感じている程です。
物心がついた頃から、周りの人と上手にバランスを保って生活するのがとてもしんどくなりました。
自分が意図しているのと異なる事が頻繁に発生をし、なぜ自分はこんなにもしんどい人生を過ごさなければならないのか?と悩むように。
僕は中学受験をして、全寮制の中高一貫教育の私立に進学をしており、そこで朝から晩まで同級生との共同生活をしていました。
今でこそ良い経験をしたと思っていますが、ここでの生活は地獄で、入学して3日で辞めたいと思ったのを覚えています。
どんな環境だったのかというと
といった具合で、思春期の子供からすると気が狂いそうな場所だったのです。
学校は千葉県の山奥にあり、物理的に都会とは切り離されています。
学校には経済的に豊かな家庭の子供が多く、親が会社経営者だったり、芸能人の子供、大企業の役員など、社会的地位が高い家庭の子供がたくさんいました。
そんな特異な環境だからこそ、僕も含め、自分が特別、わがままが通るのが自然という価値観の人間が少なくなく、毎日のようにいざこざが発生をします。
こういった事が頻繁に起きていました。
今と異なり、学校を辞めたり、いじめられている事を相談するのが一般的でない時代ですから、親に対して学校を辞めたいと訴えても聞き入れてもらえません。
そんな環境でなんとか3年間を過ごし、高校は別の所に通いたいと思い、中学2年に入った辺りから外部受験をするための勉強を開始しました。
しかし元々勉強が得意だったわけでもなく、好きでもない人間ですから、なかなか偏差値が伸びていきません。
高校は中学とは異なり普通の人が集まる平和な場がいいと思い、東京の高校への進学を希望していました。
僕が当時住んでいた千葉県の田舎町からは東京まで30分ほどで移動ができ、十二分に通学が出来る位置にあったのです。
しかし親が当時通っていた塾からおすすめをされた茨城県にある高校を受験することが決まり、学校見学もした上で「絶対に通いたくない」と何度も親に訴えたにも関わらず、僕はこの高校に進学することになります。
このページを読む方の中には田舎に住まれている方もおられると思うのですが、僕は田舎が心の底から大嫌いです。
それはなぜかと申しますと、田舎には異質な存在を排除するために集団でレイプをする文化があるからです。
少し前に都会からの移住を受け入れた街が、転居してきた住民にゴミ捨て場を使わせなかったり、集団で常識を逸脱した嫌がらせをしたとして訴訟が起きたことがあります。
僕はこれは田舎を象徴する事件であり、これと似たような事象が日本全国の田舎で繰り返されており、僕のように周りの人と異なる価値観を持つ人間を苦しめていると感じています。
僕の住んでいた千葉県の田舎街もそうだし、中学の頃通っていた全寮制の学校も全て田舎。
高校も大学も僕が通っていたのは田舎にある学校でした。
田舎には娯楽がありません。
であるがゆえに人の関心は、他人の噂話やあら捜しといった具合で、あまり生産的でないことに時間が使われていたりするのです。
僕は子供の頃から、周りの子とは異なる価値観で動くことが多い子供でした。
今であればどれも珍しいことではないかもしれませんが、当時はネットも普及しておらず、スマホもなく、個人が物を売り買いする仕組みも整っていなかったので斬新的でした。
そして周りと異なる価値観で動くことが多かったからこそ、僕の行動は軋轢を生み出し、批判の対象となったり、友達が離れていくなど、辛い経験を余儀なくされました。
もちろんそれらは全て周りのせいではなく、僕自身の振る舞いや考え方に問題があった事も多々あるでしょう。
これが僕が人生を通じて一貫して悩み続けたことです。
学校だけでなく、恋愛でも結果を出すことが出来なかった僕には、居場所と呼べるものが何一つとしてありませんでした。
そんな僕の転機となったのは、大学受験を控えて通い始めた東京の両国にある予備校での出来事です。
その予備校では同じ大学に進学を目指す生徒が集まり、勉強をしていました。
僕は高校ではほとんど友達が出来ず、浮きまくっていた存在だったのですが、予備校に通ったら一瞬で友達が出来たのです。
しかもその友達は僕の欠点も知った上で、僕のいい所を認めて評価をしてくれる人たちでした。
(僕自身も彼らを自然と認め、尊敬することが出来る関係性になる事が出来ていました)
田舎では出来なかったことが、都会では自然に出来てしまう‥。
もしかして僕が悪いんじゃなくて、僕が普段過ごしている環境が僕に合ってないだけなのかな?
僕が都会という場所に憧れ、好きになった最初のきっかけがこれでした。
自分だけが必ずしも悪いわけではない‥。そう思えたことで僕の人生には光が差したのです。
ネットを通じて出会う友人も東京に住んでいる人が大半で、彼らの家に招いてもらったり、一緒に食事したり、引っ越しを手伝ったりする中で親睦を深めることが出来るようになった。
気がつけば都会に住む友人だけが残り、田舎に住む友人との関係は途絶えていきました。
大学に進学をしてからも、友達らしい友達は出来ず、僕の活動の拠点は常にネットでした。
ネットを通じて友達とチャット(今のLINEグループみたいなやつ)を夜な夜なしたり、一緒にエイジオブエンパイアというゲームを対戦する事で、オフラインで満たされない感情を発散していました。
ある日ネットを通じて仲良くなった社会人の先輩が、「自分の部屋に転がっているパソコンパーツをヤフオクで売って欲しい」と僕に声をかけてくれました。
先輩は普段は会社に通っており、家に帰ってくるのは夜の8時過ぎ。
そこから僕と一緒にチャットをしたり、ゲームをして遊んでいたのですが、一人暮らしをしていることもあり、部屋の整理が課題になっていました。
一方で僕は当時大学生で、18歳の頃より始めたネットオークションで不用品を売るスキルを獲得しており、作業に慣れていました。
オークションへの出品と販売代行業。
僕にとってはじめてのビジネスがこの時に始まります。
先輩の不用品を売って売上が立つようになると、先輩はその売上の半分を僕に報酬として支払ってくれました。
当時は今と異なりパソコンがとても高価だったので、自分でパソコンのパーツを組み合わせて自作パソコンを作るのがブームだったのです。
先輩が僕に販売委託をしてくれたパソコンパーツは、高い値段で売れていき、その売上で学校に通う定期代、学食で昼食や夕食を食べるための食費、教科書を購入するお金、学費などを自分で支払うことが出来るようになりました。
また先輩から口伝てに僕がヤフオクで不用品販売をやってくれることが伝わり、他の人からも仕事が僕に入ってくるようになりました。
自分の力でゼロからお金を生み出すことが出来る‥。
この事は何をやっても結果を出すことが出来なかった僕の最初の成功体験となります。
普通の人であれば大学でサークルやアルバイトなどを通じて自分の適性を見つけていくと思うのですが、僕の場合は違いました。
最初に入った大学では建築を専攻。
しかし製図を書いたり、模型を作ったりする作業が苦痛すぎて、とてもではないがこれを仕事にできないと挫折。
専攻を途中で変更し、違う大学に編入学をしています。
次の大学では主にプログラミングを専攻していくのですが、ここでもプログラミングを面白いと思うことが出来ず、挫折。
自分と学問の適正が常々ないんだなと痛感をする事になります。
このような人間が社会に出るあたって、就職活動でも苦労をすることになります。
きちんと勉強をしている人であれば、研究室から推薦所を貰ってサクッと内定を取れたたでしょう。
アルバイトを通じてコミュニケーション能力を獲得した人であれば上手に面接をクリア出来たことでしょう。
しかしそのどちらもこなせていなかった僕は、面接で何度も落とされ、自分が行きたいと思っていた会社から内定を取ることが出来ませんでした。
自分の行き着く先はブラック企業のみ‥。
このように思っていた矢先に、中学時代の友人が連絡をしてきて起業をしたいので一緒にやらないか?と声をかけてくれました。
会社で活躍をしている自分の姿が1ミリも見えなかった僕は、逃げるように友人と起業する道を選びます。
そこからは友人の大学や六本木に借りた作業スペースで、毎日プレゼンの資料を作ったり、ホームページを作る作業に取り組むことに。
学生時代から情報工学が専攻だからホームページぐらい作れるよね?と言われることが多く、パソコンが好きだった僕には自然とそういった仕事が任されていたのです。
しかし実際の僕はホームページを作るのも得意ではないし、資料作りをするのも楽しいと思えなかった。
会社の事業が軌道に乗る先行きが見えなかった僕は、1ヶ月もせずに耳鳴りがするようになり、このままこれを続けていたらやばいなと思うようになったのです。
そんな時にヤフオクの延長で続けていた、ネットを利用した古本転売の情報発信をしているブログの運営者から「会わないか?」とメールが届きました。
古本転売での稼ぎはその時点で月に30万円を超えていたので、これを深めていけば生活が出来るんじゃないかと思った僕は、その後師匠となる人に会いに行くことを決断します。
師匠は僕の現状を見た上で、商売を伸ばすために販売単価と販売数を考える必要があると教えてくれました。
当時の僕はブックオフの100円コーナーで本を仕入れて、それを800円〜2,000円で売ることを延々と繰り返していました。
このやり方は資本が少なくても実践できるし、赤字になったとしても損失が極めて限定的というメリットがあります。
しかし誰でも出来るやり方なので差別化が出来ないし、収益が頭打ちなりやすいという問題が。
実際僕は週に7日仕入れに出かけて、毎日150冊の書籍を発送しても利益が30万で頭打ちになっていました。
師匠の言うことが的を得ていると思えたこと、人生で初めてこの人の言葉を受け入れて行動をしたいと思える人と出会えたこと。
この事がきっかけとなり、僕は友人と起業した会社を辞め、専業転売ヤーになる事に。
師匠と出会ってからの僕は、水を得た魚のように毎日多くを学び取り、売上もどんどん伸びていきました。
古本以外の商材として、CDやゲームも取り扱うようになり、単価の高い商品にチャレンジするように。
ライバルと差別化をするために、中古商品を修理して販売するという応用テクニックも駆使して、安定的に収益を出せるようになっていきました。
その後、意気投合した僕と師匠は、長野県に会社を設立するまでになります。
しかしあれほど憧れ尊敬していた師匠と一緒に仕事をするのが、段々としんどくなっていきました。
僕は同じことを延々と繰り返すのが苦痛で、自分がやらなくていい作業であれば人に任せたいという価値観を持っています。
しかし作ったばかりの会社には人員が足りなかったり、仕組みが出来ておらず、全てを自分たちでこなさなければなりません。
僕は週に1回東京から長野に通勤をしていたのですが、他のメンバーは週6で交代で働いていました。
その事から僕の仕事量は少ないのに、自分たちは長く働いて不公平という不満が出るようになり、僕に対する批判が発生したのです。
僕はSEO対策や広告出稿を担当していたので、他のメンバーとは異なる仕事を日々して会社に貢献しているという自覚。
しかし他のメンバーはどんな仕事をしているのであれ、作業量は平等であるべきという価値観でした。
当時会社が収益を上げていなかったこともあり、僕は会社から給料を受け取っていませんでした。
なぜ無報酬で働いているのに批判をされなければならないのか全く理解が出来ませんでした。
このように思い始めた僕は、師匠の会社を辞めることを告げ、再び1人になります。
その後はネットで情報発信をして、自分が結果を出した転売のやり方を教えたり、ネットショップの集客に悩んでいる人にコンサルをしたり、アフィリエイトに取り組んだり、輸入にチャレンジしたりと色々なことに挑戦をしました。
情報発信を学ぶために入ったコミュニティの中で実力を認められて講師を任されたり、運営を手伝うスタッフを経験したりと、着実に経験値を積み重ねていきました。
実力がある人のコミュニティを補佐する仕事も学びが多いものでしたが、自分で集客をして教育をしたお客様に自分が正しいと思えることを提案したいという思いが日に日に強くなっていきました。
僕の人生を振り返ってみても、
という経験を繰り返しており、自分は会社や組織には向いていない人間なのだと感じています。
そういった経験から、僕と同じように、学校や社会に自分の居場所を見いだせなかったり、今の仕事の延長に幸福な未来を信じることが出来ない人に向けて役立つ情報を提供できるのではないか?と思って始めたのがこのサイトです。
当サイトの目的
当サイトでは自分の得意なスキルやニーズのある情報を発信し、それを収益化(マネタイズ)する方法を発信していきます。
個人や小さな会社を運営する経営者の方を読み手として想定しており、限られた予算とリソースを使ってどうやって収益を上げていくか?に重点を置いて活動をしていきます。
ゴールとなるのはビジネスを通じた収益化、つまりお金を稼ぐことなのですが、お金の稼ぎ方について僕なりにこだわって発信をしていきます。

稼げれば何だっていいじゃないか。
このように思う方もおられると思うので、なぜ僕が稼ぎ方にこだわるのかを解説していきます。
ご存知のように僕は元々転売で実績を作りました。
そしてそのやり方を人に伝える発信をしたことで、大きな収入を得ることが出来るようになりました。
業界を研究し、徹底して差別化を行った結果、僕は自分よりも実績や経験があったり、優れたノウハウを持つ人達を出し抜き、「細野さんでないとダメなんです」という熱狂的なファンを獲得することに成功をしました。
しかし僕自身は転売を楽しいと思って続けていたのではなく、むしろ「いつまでこんな不毛なことを続けるんだろう」と思って毎日を過ごしていました。
閉鎖的な環境で苦しんだ僕が、ネットの力を使って自由になれたのに、気がつけば僕は極めてドメスティックな環境で1ミリも成長しない毎日を過ごすようになっていました。
社会的に見ても転売という行為に対するイメージは日に日に悪化をしており、子供に胸を張って誇れる仕事ではありません。
転売は人を廃人にしてしまう業であり、とてもではないが積極的にすすめられるものではないと感じているのです。
実際教えた人たちからも「稼げるのはわかったけど、これを続けていくのはしんどい」と言われたり、一度は会社を辞めて独立したものの稼げなくなってしまい路頭に迷う人が出たりと、転売稼業なんてものを提案したがゆえに不幸になる人を量産してしまった現実があったのです。
僕は自分が達成してきたように、自分と関わる人達にも達成できない人生を脱して、自分に自信が持てる人生を獲得して欲しい。
そしていま現在の僕がそうであるように、労働をして収入を得るのではなくて、自分が作り上げた仕組みから収入を得る稼ぎ方が出来るようになってほしい。
これまでも僕の所には、飲食店の経営者の方や、有名なアニメ制作会社で働くイラストレーターの方、実家の家業を継承することになった二代目社長の方が来てくれていました。
しかし当時の僕は転売しか提案できることがなかったので、やりたくもない転売を無理してやらせて、彼らのQOLを悪化させてしまっていました。
例えばある人は奥さんが精神的に病んでしまっており、看病をしてやる必要がある状況でした。
本来であれば看病をしながら続けられるビジネスを彼に対して提案すべきなのに、僕が提案したのは輸入転売。
稼げるやり方ではあったものの、奥さんとの幸せな生活を取り戻し、本業も更に充実させるという目的を達成させることは僕には出来なかった。
またある人は夫婦関係に悩んでいて、当時独身だった僕にアドバイスを求めました。
子供が大きくなり独立していることもあり、離婚も視野にいれることを僕は提案しましたが、その横で転売も頑張りましょうと意味不明な助言をしていたのです。
もちろん当時の僕は自分と関わった人を不幸にしたいなんて微塵も思っていません。
しかし一歩引いて考えてみると、転売しか提案することがない残念な人であり、人の人生の可能性を広げるどころか狭めてしまっている発信者だったのです。
この反省から僕は、今一度自分の強み、立ち位置を見つめ直し、広く社会に対して自分の技能を役立てるために何をすればいいかを考え直しました。
その結果出た結論が、ネットを通じて自分の商品や活動を広げていきたいが何をすればいいかわからずに困っている方をサポートする活動です。
これまでのように転売、アフィリエイトといった具合で相手を無理やり型にはめて活動をさせるのではなく、その人の能力や強みを最大限発揮できる活動をしてもらう。
そして労働をして稼ぐフロー収入ではなく、作り上げた仕組みから勝手に報酬が毎日上がってくるストック収入にシフトをしてもらう事をゴールとしていきます。
単発報酬ではなく継続報酬を目指すべき理由
作業量に対して報酬が上がる仕組みを単発報酬と呼びます。
これは一定の作業量をこなせば、収益が出ることから再現性があり、初心者が成功体験を作りやすいメリットがあります。
しかし単発報酬は一度商品を売ってしまえば、そこから先に収益は発生しません。
次の報酬を稼ぐためにまた作業を延々と繰り返さなければならず、自分の積み上げが資産になっていかないのです。
一方でネット上にコンテンツを作ったり、商品が勝手に売れる仕組みを作り上げれば、それらはあなたの資産となり継続的に報酬を生み出してくれます。
不動産収入のように所有しているだけで収入が入ってくるストック資産を増やし、ビジネスの流れを自動化することで、複数の収入源を持つことが出来ます。
例えば僕であれば、ビジネスを教える活動、婚活を教える活動、スキルを持っている方のプロデュース業、妻がやっているビジネス(僕の会社で活動しているので)といった具合で複数の事業から収益が上がっています。
それらの大半を僕は自動化しており、全く作業をしていなくても収益が上がる状態にしています。
継続報酬を自動化した仕組みから得ているおかげで、
といった人生を過ごすことが出来るようになっています。
僕の場合は自分で会社を経営していますが、あなたが会社員であれば、
といった人生が手に入ります。
あなたが学生の方であれば、
といった生活を手に入れることができるでしょう。
人の役に立つ活動をしよう
当サイトでは発信を通じて人や社会に役立つ活動を行うことを推奨します。
僕が取り組んできた転売やアフィリエイトは、お金を稼ぐという観点ではそこそこ合理的な商売でした。
しかしアフィリエイトであれば、自分であれば絶対に使わないような商品やサービスをおすすめする罪悪感があったし、転売は誰の役にも立たないどころか害悪な行為と社会から思われており、自分の潜在意識がひたすら汚れるやり方でした。
お金は儲かる、しかし居心地が悪い。
こんな事をするために生まれてきたわけじゃない‥。
今目先のお金に困っており、すぐに稼げる情報を求めておられる方もいらっしゃると思います。
残念ながら当サイトでは、いわゆる即金ビジネスと言われる類のものは扱っていきません。
その理由としては、
という法則があり、自身でも刹那的に稼ぐやり方に何度も何度も振り回されて嫌な思いをしてきたからです。
実は転売の情報発信をしていたときにも、次の10年、20年を稼げる理論体系を伝えようと思い、頑張っていました。
しかしこれであれば当面の間通用するノウハウになるだろうと自信を持って出したノウハウが、数カ月後には全く通用しなくなるという経験を何度もしました。
アフィリエイトにおいても同様で、再現性が高いと言われる手法を試しましたが、規制をされたり、検索圏外にサイトが飛ばされたりして、長く通用するノウハウは皆無でした。
一方で人に何かを伝えるという活動は、インターネットビジネスが始まって以来、一貫して続いており、そこで必要とされるノウハウは本質的には変化していません。
これを満たすのが、情報発信を伝える活動であり、当サイトを通じて扱っていくテーマなのです。
個人の方はもちろんの事、僕と同じように小さな会社を経営されていたり、現場のマネジメントを担当されている方に役立つ情報を提供することで、広く世に貢献できる活動を目指していきます。
自分の幸せを犠牲にしない商売をやろう
僕の携帯電話には、一度も会ったことのない人から謎の営業がかかってきます。
電話の内容は常に1パターンで、
といった、まともな人には売れない商品の営業です。
こういった仕事は人の迷惑を省みずに、ひたすら名簿に載っている電話番号に電話をかけ続けます。
そして相手から煽られたり、罵られたりしながらそれでも電話をかけ続けなければならない。
僕がやっていた転売も、仕入先の迷惑を考えることなく商品を買い占めたり、子どもたちが欲しがっているおもちゃを品薄にして多くの家庭の笑顔を奪うことでお金を稼いでいました。
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何をやるかではなく、誰とやるか
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簡単ではないかもしれないビジネスを、僕という人間から学ぶ理由はどこにあるのか?
まず第一に僕自身が器用な人間ではなく、何度も挫折や遠回りをしながら結果を出せるようになった経験を持っています。
偏差値の高い大学を卒業していて、最初から下地があった
センスや感覚を駆使して短い期間で大きな結果を出すことが出来た
こういった方の当たり前と、僕らが自然と感じる基準は大きく乖離をしています。
僕は書籍やセミナーで勉強をしても、そこで勉強したことをすぐに活用できるタイプの人間ではありません。
実践を通じて失敗を繰り返しながら、体験を通じて理論を自分の中に落とし込んできました。
同じ時期にビジネスをスタートした方の中には、言われたことを一瞬で理解できて、自分の現場で汎用が出来る人がいて、僕はそういう人をずっと羨ましいと思っていました。
しかしそういった方がなぜ短い期間で結果を出せるのか分析すると、元々会社員として優秀な方だったり、何年もビジネスを勉強してきて下地が整っていたりして、スタート地点が僕とは全く違う立ち位置にいることがわかりました。
片方は受験勉強や会社での仕事をしっかりとこなして結果を出してきた人、僕は学校でも社会でも結果を出すことが出来なかった人。
スタート地点が異なる人が同じタイミングでビジネスを初めたら差がつくのは当たり前です。
人の人生にはこなさなければいけない宿題というものがあり、大人になるまでの成長過程で自然と身に着けて社会に出ていくものです。
それをきちんとこなしてきた方は、どのようなビジネスであれ、結果を出しやすい傾向にあります。
こういった因果関係がある事を理解して物事を提案している人が、どれだけいるのでしょうか?
これまで語ってきた僕の経歴を読んで頂ければ、順風満帆で結果を出した人間ではない事はわかって頂けるはずです。
もしあなたが結果を出したいと思って色々行動してきたけど、思うような結果を出せずに悩んでいたり、周りの人が当たり前にできることが出来ずに悩んでいるのであれば、僕という人間から話を聞く価値があると言えます。
僕は当たり前の事が当たり前にできずに苦労をしてきた経験が何度もあるので、自分と同じように他の人が自然にできることが出来ない苦しみを深く理解しています。

自分に出来たのだから、同じことを黙ってやれ
ビジネスや勉強で結果を出した人の中には上記のような発言をする人が少なくありません。
結果を出すためにやらなければいけない事があるのは事実ですが、すぐに出来るようになることと、経験を積み重ねていかないとできるようにならないことがあります。
僕と相性がいいと思われる方の属性としては
上記に該当する項目がある方であれば、共感できる発信が多いはず。
白黒はっきりさせて優先度を設定してもらえないと動けないタイプの人間だったので、自分が何かを提案する時は、なぜそれをやるのか?それをやる事でどうなるのか?をきちんと伝え、優先度の設定まで行うことを心がけています。
僕と相性が悪いと思われる方の特徴も書いておきます。
(無理して付き合ってもお互いが不幸になるので)
もし上記のような考えや傾向を持っている場合、僕との相性が悪い可能性があります。
心の平穏を僕が重視する理由
僕は自分の心に余裕があって満たされている状態で、人にも優しくする事が出来ると思っています。
自分に余裕がないのに、人に優しくしたり慈愛の心を発揮するのは難しい。
僕に最初のビジネスのきかっけをくれた先輩は、僕の仕事が軌道に乗り始めた直後に自殺をしてしまっています。
自殺の理由は本人にしかわかりませんが、経済的な理由であると推測しています。
当時先輩は巻き込み事故で体が自由に動かせなくなり、仕事を続けるのが難しくなっていました。
貯金が厳しくなり、僕にお金をせびってきたり(それまであれば考えられなかった)、住み慣れていた東京の家から千葉県の田舎に引っ越したりと、明らかにおかしい行動を取っていたのです。
しかし自分の生活を守ることで精一杯な僕はその事を誰に相談すればいいかもわからず、放置をしてしまいます。
その結果、気がついた時には先輩と連絡が取れなくなり、一緒にルームシェアをしていた別の友人が先輩の引越し先を訪問した所、消臭剤が大量に置かれて鍵のかかっていない部屋だけが残っていたということです。
もしあの時僕が先輩を雇ってあげていたら自殺なんてせずに、今も一緒に笑っていられたんだろうか?
生活保護や支援をする仕組みを紹介してあげてしっかりと自立をサポートしてやれば、別の人生を生きられたのかな?
余裕がなかったがゆえに取ってしまった自分の行動は悔やんでも悔やみきれず、ただただ無念です。
僕自身も転売というやりがいを持てない仕事に従事したことで、生きる希望や喜びを失ってしまった時期があり、真剣に自殺をすることを考えたことがあります。
お金を稼ぐテクニックばかりを追求しない背景には、僕自身の失敗を辛かった経験をあなたに味わってほしくないという思いがあるからです。
生きるという選択を貫けなかった鉄川さん(先輩)の分まで僕が生き、鉄川さんが叶えることの出来なかった夢も僕が叶えていきたい。
そんな思いを片隅に置きながら、僕は毎日を過ごしているのです。
このような長い文章を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
もし何かのきっかけで一緒に活動をすることがあれば嬉しく思います。
僕との出会いに関係なく、あなたの人生が光り輝くものでありますよう願っています。
僕という人間に興味がある人に向けたさらなる自己開示
僕という人間に興味を持ってくれた人が、僕と会った時や連絡をする時に話題を作りやすいように、僕の趣味や好きなことを開示しておきます。
好きな映画
ハリウッド映画を中心に、大作からマイナーなものまで観ます。
グッド・ウィル・ハンティング
かなり有名な作品であり、知ってる人も多いと思います。
複雑な家庭で育った青年が、心理学者との出会いを通じて少しずつ心をひらいていく物語です。
この学者を演じていたロビン・ウィリアムズという役者は自殺をして他界をしてしまいました。
素晴らしい役者だったのに本当に残念でならない。
ターミナル
主人公は父親の夢を果たすためにアメリカにやってきたものの、祖国がクーデターを起こしてパスポートが無効に。
その事でアメリカ国内に入ることが出来ず空港で寝泊まりをするようになります。
空港内で生まれる様々な人達との人間ドラマが心を温めてくれる作品です。
フォンブース
電話ボックスに閉じ込められた一人の男が、真実と向き合い自分を取り戻していく話です。
限られた予算と設定の中で、ここまで緊張感のある話を描けるハリウッド映画の表現力は本当にすごい。
それでも夜は明ける
こんなにも恐ろしいことが実際に起きてしまったというのが信じられません。
人間の尊厳や人種差別の恐ろしさについて考えさせられる作品です。
最強のふたり
素行が不良な青年と車椅子で生活する大富豪の間に生まれる友情を描いた作品です。
重たいだけの作品ではなく、ユーモアも織り込まれており、最後までダレること無く観ることが出来ます。
ショーシャンクの空に
中学の時にクラスの担任の先生が鑑賞させてくれた作品。
当時の寮生活と主人公であるアンディーが重なり、今でも1年に1回は必ず見ている作品です。
どんな状況になっても希望を捨ててはいけないことを思い出させてくれる作品。
好きなアニメ
SF作品を好みます。
攻殻機動隊
これは最初見た時衝撃的だった。人間とコンピューターが融合した世界のことが描かれており、ハリウッドの超大作映画マトリックスが参考にしたことを後になって知りました。
世界観の構築や秀逸なシナリオだけなら、日本人が作る作品は世界最先端なのではないかと感じています。
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サイコパス
攻殻機動隊を超える作品なんて誰も作れないだろう‥。
そう思っていた矢先にお客様から教えて頂いた作品がこれです。
グロ耐性がない方にはおすすめ出来ない作品なのですが、世界観や設定がとても良くできています。
犯罪係数という指標によって犯罪を犯す人のリスクが数値で管理されている世界で、犯罪が存在しない完全な世界を描いています。
ハリウッド映画のマイノリティ・リポートも同じような近未来を描いていますが、あれの日本版という感じ。
劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス Blu-ray Premium Edition
好きな音楽
元々はビジュアルロックが好きで、そこからの延長でヘビメタ、プログレッシブ・ロックなどを聞いていたのですが、近年ではEDMを聞くことが多いです。
LUNA SEA
僕の青春時代はこのバンドに全てを捧げたと言っても過言ではありません。
LUNA SEAの音楽があったから、学校で友達が出来なくても、誰とも心を分かち合えない孤独が続いても耐えることが出来た。
バンドとしても一度活動を停止してしまうのですが、再び活動を再開するようにあり、年齢を重ねても成長を続けるその姿勢は人間レベルで尊敬が出来ます。
メンバー一人ひとりがバンドのリーダーとして通用するスキルを持っていて、ギターのSUGIZOさんはLUNA SEAだけでなく、XJAPANのギタリストとしても活動をされています。
同じようにビジュアルロックという括りで語られるバンドは多々あれど、群を抜いた業績と結果を残している日本を代表するロックバンドだと思います。
Janne Da Arc
インディーズ時代から抜群の演奏能力を評価され、最終兵器と呼ばれるほど期待をされてデビューをしたバンドです。
最終的には解散をしてしまうのですが、デビュー直後の作品は何度聞いたかわからないぐらい繰り返して聞いていました。
Dream Theater
大学で出来た友人にヘビメタを勧められて、色々聞いていく間にたどり着いたバンドです。
世界観の作り込みと演奏技術が素晴らしく、技術一辺倒なバンドも多いこの分野で、何度も聞き込みたいと思える作品を作るバンドです。
途中でメンバーが何度か変わってしまうのですが、マイクポートノイという方がドラムを担当していた頃のDream Theaterを何度も聞きました。
↓マイクポートノイというのは、こういうドラムプレイをされる方です
歌っているテーマも精神病やPTSDなど、現代社会を象徴するテーマ性の強い作品があったりで、大衆に広く支持される作品を作りたいバンドではないんだなというのが伝わってきます。
Avicii
若い頃は勢いのある曲が好きだったのですが、年をとってからは人生のさりげない日常や現代人が抱えている心の悩みを歌う曲が好きになりました。
似たような曲が多いEDMという分野の中で、カントリーミュージックやポップミュージックを独自のバランス感覚で織り交ぜているアヴィーチの曲は、ストレートに僕の心を打ちました。
僕がアヴィーチを知った時に、彼はすでに自殺をして他界をしてしまっていたのですが、これほど素晴らしい音楽を作れるアーティストがこの世を去ってしまったことが残念でなりません。
好きな小説
社会人になってから読まなくなりました。
黒木亮さんという方の作品が好きです。
好きなホスト
勉強に対する適正がないことに気がついていた僕は、大学に入る頃にホストになりたいと考えたことがあります。
朝起きることが苦手だったこともあり、東京理科大学の夜間部に通いながら、仕事をして学費を払いたいと進路相談で言った所、担任と親から猛反対され夢は叶いませんでした。
若かった頃の憧れであったホストの世界で結果を出されているプレイヤーや、ホスト出身者の経営者の方を尊敬しています。
ローランドさん
テレビへの出演も多く、知っている人は多いと思います。
この若さでこの達観力は見事しか言いようがない。
「何年生きたかではなく、どう生きたか」
「一年以内になんか諦めたやつに何も言う資格はない」
本当にそのとおりだと思います。