「センスがいい人は頭がいいのか」という問いを検索する人は、たぶん自分をセンスが無い側だと思っている。私もそうだ。だからこの記事は、センスがいい人の特徴を並べる記事ではない。センスで負け続けた側の人間が、20年後に何が残ったかを書く記事だ。
先に立場を書いておく。私はセンスで成功する人を今でも羨ましいと思っている。それは変わっていない。ただ、20年分の結果を集計すると、センスで先に行った人の多くは活動を止めていて、私は続いている。この差がどこから来たのかを、自分の劣等感を隠さずに整理する。
結論:短期はセンスで決まり、長期は継続で決まる。そしてどちらが上かは言えない
センスがいい人は、頭がいいというより「経路を飛ばせる人」だと私は理解している。他人が試行錯誤で通る道を、最初から正解に近い位置に立って省略できる。だから短期間で結果が出る。
センスが無い人は、経路を飛ばせない。何がだめなのかを一つずつ確認して、修正して、また確認する。時間はかかるが、通った道を全部覚えている。
この差が、短期と長期で逆の結果を生む。短期ではセンス型が勝つ。長期では、経路を覚えている側にしかできないことが出てくる。それが「続けること」と「人に教えること」だ。
ただし、それでセンス型より積み上げ型のほうが良いとは言えない。センス型は最短ルートで成功しているし、私はそれを今も羨ましいと思っている。この記事の結論は「一概に言えない」で、その理由を以下に書く。
私が「センス」に負けてきた場面
抽象論の前に、私がどういう場面で劣等感を持ってきたかを具体的に書く。
受験:参考書だけで一流大学に現役で受かる人
学生時代、参考書だけを使って大学受験を突破する人がいた。塾にも予備校にも頼らず、誰もが一流と認める大学に、現役でサクッと合格する。私は偏差値35程度の高校から短大に入り、編入で4年制大学の卒業資格を取った人間なので、この差は最初から見えていた。
せどり:後から始めた人に、先に抜かれる
ビジネスの世界に入ってからも同じことが起きた。私より後にせどりを始めたのに、私より短期間で稼げるようになった人がいる。私より後に情報発信を始めたのに、私より大きな結果を、私より速く出した人がいる。
一番こたえたのは、同じ人から指導を受けたときだ。同じ師匠に、同じ内容を教わっている。それなのに私は結果が出なくて、その人は結果が出ている。教える側も教わる内容も同じなのだから、差は受け手の側にしかない。これをセンスと呼ばずに何と呼ぶのか、当時の私には分からなかった。
こういう場面で、私はずっと劣等感を感じてきた。今もその感覚は消えていない。
20年後に集計すると、多くのセンス型は活動を止めていた
ここからが、この記事で一番言いたい部分だ。
私より速く稼げるようになった人、私より速く大きな結果を出した人は、結果として多くが活動を停止している。理由は人それぞれで、私が全部を知っているわけではない。ただ、集計すると止まっている人が多い、という事実だけは動かない。
一方、私はプレイヤーとしては卒業している。自分で仕入れて売って、という活動は今は主ではない。だが、指導の分野で評価を得て、活動そのものは続いている。20年経って残っているのは、センスで先に行った側ではなく、センスで負け続けた側だった。
これを「センスが無くても努力すれば勝てる」という美談にするつもりはない。私は勝ったのではなく、残っただけだ。だが、残ることが結果として勝ちになる分野は確かにあって、指導はその一つだった。
なぜ、センスが無い側が残るのか
経路を覚えている人間にしか、修正はできない
センスが無い人間が持っている力は、一つしかない。「何がだめなのか」を一つずつ確認しながら修正する内省の力だ。
経路を飛ばせないから、飛ばせない人間は全部の分岐を通る。どの分岐で間違えたか、どこを直したら動いたか、その記録が手元に残る。だから、環境が変わって前のやり方が通用しなくなったとき、どこを直せばいいかを自分で探せる。
センス型は、この記録を持っていない。最初から正解に近い場所にいたので、なぜそれが正解だったのかを経路として持っていない。うまくいっている間は最強だが、環境が変わって正解の位置がずれたとき、どこを直せばいいかが分からない。分からないと、止まる。私が見てきた「活動停止」の多くは、この形だったと思っている。
経路を覚えていない人間は、人を育てられない
同じ理由で、センス型は人を育てにくい。教えるというのは、自分が通った経路を相手が通れる形に分解して渡す作業だ。経路を持っていない人は、渡すものが無い。「見て覚えろ」「なんとなく分かるだろ」以上のことが言えない。
私が指導の側で残っているのは、頭がいいからではない。負け続けた分だけ、間違え方のサンプルを大量に持っているからだ。相談者が詰まっている場所は、たいてい私が過去に詰まった場所で、そのときどう抜けたかを覚えている。教える側に回ったとき、劣等感の元だった「経路を飛ばせない」という性質が、そのまま商品になった。
この構造は、私が教えている中身から見ても同じだ。たとえばブランド品の真贋は、知識ではなく接触量で身につく。週に50個から100個触っていると、違和感で分かるようになる。ここまでは私もセンス型も同じだ。違うのは、その違和感を「なぜそう感じたか」まで一つずつ確認してきたかどうかで、確認してきた側だけが、それを他人に渡せる言葉に直せる。
それでも「一概に言えない」理由
ここまで読むと、積み上げ型のほうが良いと言っているように見えるかもしれない。そうではない。
センス型は、最短ルートで成功している。私が20年かけて到達した場所に、数年で着く。その数年と20年の差は、人生の時間としては取り返せない。指導の側で残ったと言っても、プレイヤーとして負け続けた期間が消えるわけではない。羨ましいという感情は、この時間差に対して今も正直にある。
だから、どちらが良いかは自分がどちら側かで決まる。センスがある人はそれを使えばいい。無い人は、無いことを前提に、経路を覚えて修正する側に回るしかない。私が言えるのは、無い側にも残るルートは存在する、というところまでで、それが良いルートだとは言っていない。
| センス型 | 積み上げ型 | |
|---|---|---|
| 短期の結果 | 速い | 遅い |
| 環境が変わったとき | 直す場所が分からず止まりやすい | どの分岐で崩れたかを探せる |
| 人を育てる | 渡す経路が無い | 間違え方のサンプルが商品になる |
| 失う時間 | 少ない | 取り返せない |
この表は私の20年の集計であって、統計ではない。あなたの周りで違う結果が出ているなら、そちらが正しい。
内省は、今はAIで加速できる
積み上げ型の唯一の武器が内省だと書いたが、内省には弱点がある。一人でやると遅い。何がだめなのかを確認する相手がいないと、自分の思い込みの中で回り続ける。私が一人で働いていた期間に、これで何年か無駄にしている。
今は、その壁打ちの相手にAIが使える。自分がやったこと、出た数字、次に何を変えるかを書いてぶつけると、反応が返ってくる。反応が正しいかどうかは自分で判断する必要があるが、「一人で回り続ける」という状態からは抜けられる。センスが無い側の内省が、以前より速く回るようになった。これは私が20年前に持っていなかった道具で、今から積み上げ型で始める人には、そのぶん有利になっていると思う。
まとめ:センスがいい人は頭がいいのか
頭がいいかどうかは、私には分からない。分かっているのは、センスがいい人は経路を飛ばせる人で、短期の結果はそれで決まるということ。そして、経路を飛ばした人は経路を持っていないので、環境が変わったときに直せず、人にも渡せない、ということだ。
私はずっとセンスで負けてきた。今も羨ましい。だが、負け続けた側が20年後に指導の側で残っているのは、負け方を全部覚えていたからで、それは頭の良さではなく、一つずつ確認して修正するしかなかった人間の性質だ。
センスが無いと思っている人に言えるのは、それは短期の敗北であって、長期の敗北ではない、ということまでだ。どちらが良い人生かは、私には言えない。
「賢い」というラベルを、頭の良さではなく別の機能で捉え直す話は、賢い人は同窓会に行かないと言われることについて書いた記事でも同じ構造で書いている。無能という評価が評価者の数で決まるという話は研究室で無能扱いされたときの記事に、人生を分解して撤退してきた経緯は人生を諦めることについての記事にある。

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