仕事はできないのに、口調と態度だけは一人前の人がいる。ミスは人のせいにして、手柄は自分のもので、こちらの仕事に上から意見を言ってくる。検索語には「先輩」「部下」「上司」「新人」「おじさん」「女」といった相手の属性がつきますが、腹が立っている中身は同じです。なぜあれが許されているのか。この一点だと思います。
先に断っておくと、私は同僚としてその人の隣に座ったことがありません。正社員として会社に勤めた経験がないからです。代わりに持っているのは、人を雇って時給を払った側の経験と、20年近く会社ではなく市場に物を売って生きてきた経験です。そして雇う側だったとき、私自身が「誰が雇ってやっていると思うんだ」と思った日があります。
この記事では、ダニング=クルーガー効果も自己愛性パーソナリティも、グレーロック法も出てきません。相手の性格を分類しても、明日の職場は変わらないからです。代わりに、「偉そう」とは何をしている行為なのかと、それが通用する場所の条件を書きます。結論を先に言うと、偉そうな態度とは自分の値段の自己申告で、自己申告が通用するのは、その値段を測る人がいない場所だけです。
「偉そう」は、自分の値段を自己申告している
偉そうな態度を分解すると、やっていることは一つです。「自分はこの程度の扱いを受けるべき人間だ」という値段を、態度で申告している。上から意見を言うのは「自分の判断はあなたより高い」という申告で、ミスを人のせいにするのは「自分の値段を下げる情報は受け取らない」という申告です。
「仕事ができないのに偉そう」が腹立たしいのは、この自己申告の値段と、あなたが見ている実測の値段の差が大きいからです。そして本当に腹が立っているのは、差があること自体ではなく、その差額を誰も請求していないことだと思います。
なぜ自己申告が通るのか:測っている人がいないから
会社の中であなたの仕事に値段をつけているのは、上司か、せいぜい数人の評価者です。この人たちにとって、成果を測るのはコストが高い作業です。誰がどの穴を埋めたか、誰の判断でミスが防がれたかは、現場に張り付いていないと見えません。一方で態度を測るコストはゼロです。会議で自信を持って喋っているか、報告が堂々としているかは、見ていれば分かります。
測るコストが高いものは測られず、測るコストがゼロのものが測定値の代わりになる。これが、成果ではなく態度で値段がつく仕組みです。偉そうにできる人は、測定されていない場所を正確に嗅ぎ分けているだけで、能力とは別の話です。だから同じ人が、成果が数字で出る部署に移った途端に静かになることがあります。
あなたも自己申告している
ここで一つ、言いにくいことを書きます。「自分はあの人より仕事ができている」という認識も、自己申告です。たぶん正しいのでしょう。ただ、正しいかどうかを判定している第三者がいない以上、職場の中ではあなたの申告と相手の申告が並んでいるだけです。
「なぜあれが許されているのか」の答えはここにあります。許しているのではなく、誰も判定していない。判定する装置がない場所では、自己申告の声が大きいほうが測定値になります。相手が悪人だからでも、上司が無能だからでもなく、審判がいない試合をしているからです。
雇う側だった私が「誰が雇ってやってると思うんだ」と思った話
私は2019年から2022年頃まで、ブランド品の転売を本業の規模で回していました。CHANELとルイ・ヴィトンのバッグが主力で、仕入れたものを直して売る工程があり、一人では回らないのでアルバイトを雇っていました。リペアの手伝いをしてもらう人です。
時給は2,000円でした。同じ仕事の相場から見て、露骨に高い金額です。私としては、良い人に長く来てほしいという気持ちで乗せた金額でした。
その人は、よく働いてくれました。ここは強調しておきます。仕事はできる人でした。ただ、こちらが相場より高く払っていることへの感謝のようなものは一切なく、貰って当然という態度でした。具体的に何が引っかかったかというと、言葉遣いです。何かを頼んでくるとき、頼む側なのに遠慮がない。建前でもいいから丁寧語や謙譲語を使って依頼する、ということができない人でした。「これやってもらえますか」の一段下の言い方が出てこない。仕事の速さとは無関係の、ただの言い方の問題です。
それで私の中に出てきた言葉が「誰が雇ってやっていると思うんだ」です。相場より高く払っているのに、返ってくるものが何もない。報いる理由がなくなった、と感じたわけです。
今なら分かります。これが、雇う側の「偉そう」です。私は自分の値段を「相場より高く払う、良い雇い主」と自己申告していて、相手にそれを言葉遣いで認めてほしかった。相手から見れば、私は契約通りの時給を払っているだけの人間で、それ以上でもそれ以下でもありません。私の自己申告価格が、契約という実測を上回っていた。腹が立ったのは、その差額を相手が払ってくれなかったからです。
言葉遣いは、態度の中でいちばん安い部品
この話でもう一つ大事なのは、私が引っかかったのが仕事の出来ではなく、依頼の言い方だったことです。丁寧語や謙譲語で頼むのに能力は要りません。定型文を覚えるだけで、今ならAIに「丁寧に言い換えて」と頼めば一秒で出てきます。当時それがなかったので、相手は素の言い方で頼み、私は素の言い方に腹を立てました。
つまり「偉そう」と感じさせる部品のうち、言葉遣いは最も安く、最も交換が効くものです。それすら省かれると、受け取る側は「自分の値段を認められていない」と読みます。逆に言えば、仕事ができない人がこの安い部品だけ丁寧に整えていると、評価者はそれを成果の代わりに読んでしまう。あなたの職場の「できないのに偉そう」の逆パターン、「できないのに評価される人」は、たいていこの部品が丁寧です。態度は成果の代用品として、どちらの方向にも使えます。
上乗せした分は「感謝」では返ってこない
この経験から、はっきり言えることが一つあります。相場の上に乗せた分を、私は好意として払いました。相手はそれを契約として受け取りました。契約に書いた金額は権利になり、契約に書いていない期待は消えます。相手の態度は契約通りで、契約の外にあったのは私の期待のほうでした。
偉そうな相手に腹を立てているとき、たいてい同じことが起きています。相手は自分の権利の範囲で動いていて、あなたはその範囲の外にある対価、たとえば謙虚さや、遠慮や、あなたへの敬意を期待している。その対価は、どこにも書かれていません。書かれていないものは請求できない。この構造は「無能ほど権利を主張する」が正しく見える職場の構造で、権利の側から書きました。この記事はその態度の側です。
辞めた後も続いた連絡で、気づいたこと
その人が辞めた後も、前年度の収入証明を出してほしいという連絡が何度も来ました。正直に書くと、私はうざいと思いました。ただこれも相手の権利で、発行するのは雇う側の義務です。私がうざいと感じた理由は、相手が権利の範囲で動いていることに対して、私が「辞めたのだから遠慮するのが筋だろう」という契約外の対価を期待していたからです。同じ構造が、辞めた後まで続いていました。
大事なのは、この人は「仕事ができない人」ではなかったということです。よく働く人でした。それでも私は偉そうだと感じた。つまり「偉そう」と「できない」は独立した変数で、あなたが怒っているのはその組み合わせです。「できないのに偉そう」が成立するには、できないことが測られていないという条件がもう一つ要ります。
市場には、自己申告価格が存在しない
もう一つの立場から書きます。私は20年近く、会社ではなく市場に物を売ってきました。動かない録画機器を1,000円以下で仕入れ、中古ドライブに交換して容量を増やし、15,000円で売る。この15,000円は買い手が決めた値段で、私が何を申告しても変わりません。
売り手が「自分は20年やっている」と言っても1円も上がらないし、買い手が偉そうに値下げを迫っても、それは入札であって価格ではありません。応じなければ別の買い手が15,000円で買っていく。市場には、態度で値段を動かす窓口がないのです。だから私は20年間、偉そうにする相手も、偉そうにされる相手もいない場所で働いてきました。雇う側になったあの数年だけが例外で、そこで私自身が偉そうになったわけです。
整理すると次のようになります。
| 評価者が一人(会社の中) | 評価者が多数(市場) | |
|---|---|---|
| 値段を決めるもの | 評価者の裁量と内部規則 | 買い手の需要 |
| 態度(自己申告)の効き方 | 測定値の代わりになる | 効かない(窓口がない) |
| 成果の効き方 | 測るコストが高く、測られないことが多い | そのまま価格になる |
| 「できないのに偉そう」 | 成立する | 成立しない(できなければ売れない) |
| 差額を請求できる人 | いない | 買い手が自動的に請求する |
「できないのに偉そう」が成立する条件を、自分の側から崩す
ここまでの話が正しいなら、相手を変える方法は存在しません。相手は測定されていない場所で合理的に振る舞っているだけで、あなたが相手の性格を分析しても、測定は始まらないからです。変えられるのは、あなた自身が誰に測られているかです。
相手を測らせるより、自分を測る
社内でできることは限られますが、一つだけ意味のあることがあります。自分の成果を、評価者が測るコストゼロで見られる形にすることです。件数、時間、金額、誰の穴を埋めたか。記録を残すのは相手を告発するためではなく、自分の申告を自己申告ではなく測定値にするためです。
ただし限界もはっきりしています。それを見る評価者は依然として一人です。その一人が態度で測る人なら、記録は読まれません。異動や転職も、評価者を別の一人に交換するだけで、審判がいない試合であることは変わりません。
評価者を一人から二種類にする
私が唯一「構造そのもの」を変えると考えているのは、会社の外に、自分の判断に金を払う相手を持つことです。規模は問いません。月3万円でも、あなたを測る人が「上司一人」から「上司と市場」の二種類になります。
これで職場の偉そうな人が消えるわけではありません。変わるのは、その人の自己申告があなたの自尊心に占める割合です。社内の測定しか持っていない状態では、その測定の歪みが100%効きます。もう一つ、態度が一切効かない場所で自分の値段が出ていると、社内の自己申告合戦は「一部」になります。私が20年、会社に勤めずにいられた理由の半分はこれです。
計算機:その人に使っている時間の値段
感覚ではなく数字にしたほうが判断が早いので、簡単な計算機を置きます。偉そうな人の対応、尻拭い、その人のミスの修正に使っている時間を週単位で入れてください。その時間はあなたの時給で換算されますが、誰にも請求できません。これが「差額を請求する人がいない」の実額です。
この計算機は「その時間を別のことに使えたはずだ」という単純化の上に立っています。実際にはその人が辞めても別の誰かの尻拭いが発生するかもしれません。ただ、月に何時間、年にいくらを、請求できない形で払っているかは、割り算で見たほうがはっきりします。
どんな形で評価者を増やすかは人によりますが、私の場合は壊れた中古品を直して売ることでした。理由は単純で、成果が「動くか動かないか」という形で誰にでも測れるからです。自己申告が一切効かない場所で自分の値段を確かめると、職場の偉そうな人の申告が、ずいぶん小さく見えるようになります。
自分が「偉そう」と言われる側になる日
最後に、視点を反転させます。雇う側だった私がそうだったように、自己申告価格は誰でも持っています。自分の値段が測られていない場所に立てば、誰でも偉そうになれるし、自分では気づきません。私は相手を「感謝のない人」だと思っていましたが、相手から見れば私は「相場より高く払っただけで恩を着せる雇い主」だったはずです。
あなたが今の職場で成果を出しているとしても、その成果を測る人がいない限り、あなたの自己申告もいつか誰かの「できないのに偉そう」になります。年齢で速度が落ちたとき、部署が変わって得意な仕事がなくなったとき、後輩が自分より速くなったとき。そのとき残っているのが態度だけなら、あなたが今怒っている相手と同じ位置に立つことになります。
それを避ける方法も、結局は同じです。自己申告が効かない場所に、自分の値段を一つ持っておくこと。市場は偉そうにさせてくれませんが、その代わり「できないのに偉そう」と言われることもありません。できなければ売れないだけで、言う相手がいないからです。
よくある疑問
偉そうな人のことを、上司に報告すべきですか
報告するなら、「あの人は偉そうです」ではなく、測定の依頼として持っていくべきです。誰が何件を処理し、誰のミスを誰が何時間かけて直したか。数字で出せば、評価者が測るコストが下がります。ただし、それでも評価者は一人です。その一人が態度で測る人なら、数字は読まれません。そのときは報告に時間を使うより、自分の評価者を増やすほうが早いというのが私の考えです。
偉そうな人はいつか自滅しますか
自滅するのは、測定が始まったときだけです。数字が出る部署に移る、成果が可視化される仕組みが入る、会社の業績が落ちて人を測らざるを得なくなる。こういう変化があれば自己申告は剥がれます。逆に言えば、測定が始まらない職場では自滅しません。「いつか報いを受ける」を待つのは、戦略にはなりません。
転職すれば解決しますか
次の職場に測定の仕組みがあれば、解決します。なければ、評価者を別の一人に交換しただけで、同じ構造に同じ人がいます。転職先を選ぶときに見るべきは、社風や人柄より、成果がどう測られているかです。測られていない場所には、必ず自己申告で生きる人がいます。
まとめ
「仕事ができないのに偉そうな人」は、自分の値段を態度で自己申告している人で、それが通るのは、成果を測るコストが高く、態度を測るコストがゼロの場所だからです。許されているのではなく、誰も判定していない。あなたの「自分のほうができている」も、その場所では自己申告の一つです。
私は雇う側として、相場より高い時給を払って、頼む側なのに遠慮のない言葉遣いで「貰って当然」の態度を取られ、「誰が雇ってやっていると思うんだ」と思いました。今はそれが、自分の側の自己申告だったと分かります。契約に書いた分は権利になり、書いていない期待は消える。相手はよく働く人で、偉そうかどうかと、できるかどうかは別の変数でした。
相手の性格を分析しても、測定は始まりません。自分の側でできるのは、自己申告が一切効かない場所に、自分の値段を一つ持つことです。それがあると、職場の偉そうな人の申告は、あなたの自尊心の全部ではなく一部になります。
権利の側から見た同じ構造は「無能ほど権利を主張する」が正しく見える職場の構造に、評価者によって同じ人間が無能にも自立した若者にもなる実例は研究室で無能と言われてつらい人へに書いています。

コメント