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学校に行きたくない

 


この記事の所要時間: 821

どうも、細野です。

 

学校という場所はテンプレート化されたプログラムを教える、ロボット量産所だ。

学校で学んだことだけで世の中で大成をする人は一人もいません。

 

学校で学んだ経験を直接的ないしは間接的に使って汎用するから成功するのです。

従って学校で学ぶ知識は必要最低限であり、学ぶ必要性がある。

 

どれぐらいまでの教育レベルが必要かというと、義務教育レベルはちゃんと理解したほうがいい。

高校以降の勉強は大学での専門教育のためにあるので、分野によっては必要になる。

 

個人的には理数系の学問は学ぶ価値があると考えるが、文系の学問は大人になってからでも自学自習出来てしまうので優先度は低いと考えている。

従って高校に進学、高校の勉強をするのであれば、理系進学か工業高校が選択肢になる。

 

これ以外の進路を選んでもいいけど、別にそれは今でなくても出来るよって事。

 

偏差値の価値

 

偏差値という判断軸で人間を評価するなと言う批判がある。

確かに一理あるが、僕としては偏差値というのはその人間を図る物差しだと考えている。

 

逆に偏差値以外でその人をどうやって評価すればいいのって思う。

君たちは自分でお金も稼げない、自分で計画を立てて遂行する力もない。

大人によって監視され、管理されて生かされている存在だ。

 

そんな人間が優秀なのか、そこら辺に転がっている石と大差ないものなのかなんて誰にもわからない。

だから偏差値という指標でその人が今持っているポテンシャルを見ることが合理的な選択になるわけ。

 

校則と偏差値の密接な関係

 

もし君が自由度の高い校風や自主性に委ねられる環境に身を置きたいなら、偏差値が高い学校に進学をすればいい。

偏差値が高い学校では制服がなかったり、授業の出席日数を見られなかったりと、生徒自身の自主性を信頼している。

 

なぜそういう事が出来るかというと、受験勉強を通じて自己管理能力の高さを証明しているからだ。

偏差値というのは競争する人間の基準値が高ければ高いほど上がっていく。

その関門をくぐって合格に達するのは至難な事だ。

 

だからそれが出来る人間は優秀な人間であり、自分を管理する人間であると判断される。

 

逆に言うと偏差値が低い学校に行くと、こいつは自己管理能力が低い人間なんだなと判断されるということだ。

これは君にとって不本意な事かもしれないが、大人はそう思ってる。

 

そして実際に世の中を見渡すと、高等教育を受けた人間と教育を満足に受けていない人間の間には越えることの出来ない差が生まれる。

最終的な人間の評価というのはその人が人生で何を成し遂げたかによって決まっていくが、実社会における最も簡単な評価は収入だ。

 

収入が高い人間は自己管理能力が高く優秀な人間と判断される。

金を稼ぐ能力が低い人間は、魅力に欠け、自分を律する能力が欠如していると判断される。

 

一足先に大人になった人間として言わせてもらうと、これは事実だ。

実際収入と自己管理能力の間には密接な関係がある。

 

逆説的に言うならば学校生活を通じて身につけるべき最大の素質は何かというと、自己管理能力。

つまりマネジメント能力と言い換えることが出来る。

 

それを実現するために部活があり、試験があり、受験があると考えれば良い。

ではこういったラットレースから外れ、学校に行かないという選択をするとどうなるのか?

 

大学に進学しなければ選択肢は狭まる傾向にある

 

君が就職して会社勤めをしたいと考えているなら大学に行かないことで大幅に不利になる。

殆どの会社は大卒(専門学校)かつ新卒であることを新入社員応募の条件に掲げている。

 

だから学校に行かずに高校中退、中卒という選択をすると会社員としてキャリアを積むことは物凄く難しくなる。

体で稼ぐ肉体労働でしか自分を受け入れてくれる土壌はなくなるだろう。

 

もちろん体で稼ぐ仕事がダメというわけではないのだが、体だけで人間が稼ぐには限界がある。

なぜかって言うと、体で稼げるということは代替品はいくらでもいるという事だから。

 

僕が子供の頃寿司というものは高価なものであり、特別な日に食べる食事だった。

ところが寿司ロボットが出てきてどんな環境でもそれなりにおいしい寿司を提供できるようになった。

 

回転寿司というものが出てきて寿司職人がいなくても商売が出来るようになった。

すると体で稼いでいた寿司職人の価値はどうなったかというと、相対的に下がった。

 

それまでは何年も下積みをして経験を積んで独立していくという流れだったのが、半年で基礎を終えてすぐに店に立たせる。

そんなプログラムを提供する寿司職人の学校も出てきた。

 

そうすると寿司職人の希少性というのはさらに下がる。

結果どうなるかというと、高級寿司と激安寿司の二極化が起きた。

 

すごくおいしい寿司を天才的なセンスで作り上げる職人と、皆が食べたいと思う寿司を安く大量に提供するロボット。

この2つだけが市場から求められるようになったわけだ。

 

これは別に寿司職人の世界だけの話ではない。

どんな業界でも同じようなことが起きている。

 

僕が学生だった頃はまだ良い大学を出て有名企業に就職することに一定の価値があった。

今はどうだろう?

 

有名な会社でも普通にリストラされたり、外国企業に買収されるなんて事が普通に起きている。

 

 

学校に行かないのは悪なのか?

 

誤解のないように言っておきたいのだが僕は学校という場所が大嫌いだ。

ブタ箱のような教室に詰め込まれて、朝から夕方まで糞つまんない話を聞かされる。

 

つーか高校なんて大学受験予備校と変わらないのになんであんなに時間かけて通っていたんだろう?

 

部活やその学校ならではの特殊なプログラムがないなら、あんなものに存在価値はない。

 

しかしこのように考えて自分で計画を立てて実行できる人間は少ない。

自分で考えると言われて君は何が出来るだろうか?

 

僕は自動車免許を取るために教習所に通った時、物凄く不安になった。

自分で講義を取る時間を止めて取得までのスケジュールを組めと言われたからだ。

 

結果僕は指定された期間内で免許取得が危うく、教習所の人に頼んで期間に融通を効かせてもらったのです。

最後の方は同じ時期に免許を取りに来た子が別の免許の勉強をしていたりと自分の出遅れ感を感じていました。

 

学校にいた時は人にスケジュールを決められたり干渉されるのが嫌だったのに、いざ自分で自由にやれるようになった途端に何も出来ない事を思い知ったのです。

 

同じことは大学に入っても続きました。

取る講義や単位については自分で計画を立てて決めなければいけないので、個々でも物凄く戸惑う。

 

自由な生活に憧れていたのにこの重たさは一体何だろう?

人に決めてもらうほうが楽だな…。

 

そんな風に思うようになりました。

 

型の重要性を知る

 

大学を卒業してから自分なりにできることを探してここまで来ましたが、型というのはとても大事だと思ってます。

 

まずは先人が打ち立てたテンプレートをしっかりとこなして、そこから自分なりの方法論を確立していったほうがいいです。

そのほうが成功確率って高いんですね。

 

誰も思いつかないすごいアイディアを実行するよりも、有効性が立証されている方法についていくほうが手堅いってことです。

 

なので何かを成し遂げようと思ったらその道のテンプレートを知り、テンプレにまずは染まる。

これが重要。

 

ネットビジネスだったらアフィリエイトからやるんじゃなくて物販からやると挫折しにくいとか。

こういう型があるんでそこをしっかり守るってことです。

 

型をこなせないやつが自分のやり方で結果が出せるはずがない。

自分のオリジナルでやれたらいいなと考えているかもしれませんが、テンプレに染まり、テンプレを100%こなすというのをまずは出来るようになりましょう。

 

そこから自分のオリジナルを作っていけばいい。

(守破離と言ったりします)

 

まとめ

 

学校のメリットとデメリット、行かないことでどういう未来が訪れるのかを語ってきました。

あなたより先に学校を出た人間として言わせてもらうと、なんだかんだ言って学校で習うことは役立つ。

 

特に義務教育で習う知識は社会出てからまじで使いまくる。

義務教育の知識があれば普通に経済的に自立してやっていけます。

 

じゃあなんでいい年して食えない人がいるのかっていうと、その人は人生以前、人間以前な人で、ちゃんと学校で勉強しなかったんですね。

んで学校卒業した後に不足しているスキルを補えばよかったんだけど、その努力もしなかった。

 

だから苦労しているし、何も成し遂げることなく毎日を浪費する人生を彼らは過ごしているんです。

これを読むあなたは彼らみたいな大人になってはいけませんよ。

 

ダメな大人を反面教師にして、自分を律して結果を出せる側にシフトしていきましょう。

 


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